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バラック小屋での原体験②



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と、今にしたら虐待と定義づけられてしまうかもしれないバラック小屋の副流煙部屋での滞在であったが、幼稚園生活が崩壊していた幼児の私は心がすさんでおり、幼稚園終わりに祖母が迎えに来てくれるのをほんとうに毎日心待ちにしていた。嬉しいことはそれだけであった。


副流煙部屋に帰ると、スナック菓子が用意されており、つまみながら工作をしたりTVを見たり祖母と一緒に買い物に出たりなど私には天国だった。夕方の再放送で、「水戸黄門」も「大岡越前」も「はぐれ刑事純情派」も見まくっていたが毎日大概同じ流れのストーリーの中に、たまにいつもと違う流れの日があったりして全然飽きなかった。物静かで気難しい祖父はアル中気味で夕方になると日本酒を飲み過ぎるほど飲んで寝てしまった。


祖父母はとても心優しい人々であった。
特に祖母は江戸っ子で気サクなタイプで、裏表がなく、謎にコミュニケーション能力が高く人懐っこくて周辺バラック小屋の人々と始終会話しているようなオバチャンだったのである。昔床屋をしていたというのでそういう所も影響していたのかもしれない。もちろん仲の良かった周辺バラック小屋の住人もたいていワケアリの人々ばかりである。

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ボロいバラック小屋にモクモク部屋を作るような祖母なので、ごみ屋敷とまではいかないが、多量の荷物も蓄積されており狭い玄関を入れば下駄箱や食器棚の上に天井まで荷物が積まれていた。狭いキッチンにはなべが積み重ねられ無数の調味料のボトルが雑然と置かれていたし、どこもかしこも油がギトギトにこびりついていた。幼い私はそれが普通の台所だと思っていた。


とても衛生的でも健康的でもない祖母の料理は、とてもうまかったのである。

超偏食の幼児期の私は、祖母の作っていた油ぎとぎとの人参のてんぷらや、何が入っているか分からないパンパンに膨れた「ばくだん」、大量の醬油と酒で煮こまれた謎の煮物で食いつないだらしい。

当時普通のことだったのだが、今では衝撃に思うのは、コタツの中のオニギリだ。野球のボール大のおむすびには海苔がもうグッタグタになって張り付いていて、コタツの中で何時間にもわたってぬるく温められていた。温かいものを食べさせようという祖母なりの愛情おむすびなのである。そして私はこれが大好物であった。現代のスーパーや弁当屋などで「海苔グッタグタ系野球ボールおむすび」はたまに散見されるので、私のように昔馴染んだ人か高齢者用の需要なのかと思う。

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と、こんな調子で年少~年長の数年間(小学生の時も夕飯どきにお邪魔していたりしたから含めればもっと)、バラック小屋の副流煙部屋で、他の子どもと遊ぶことも無く、公園にも行かず、祖父母の見ている「はぐれ刑事」で善悪を知り、祖父母の食べているコレステロール大量の料理を食べて過ごしていたので、全く社会性というものが身につかなかった。何とか社会性というものができ始めたのは、小学校に入ってからだよなぁと思いだす。

また、未就園のこの時期というのは愛着形成に非常に大事な時期なんだそうである。この頃の園児の私の安全地帯というと、お迎えに来てくれて、めんどうを見て、ご飯を食べさせてくれた祖母ということになるので、母代わりみたいな面が結構あった。愛着形成という面で十分ではなかったかもしれないが、あったなら、母とというよりも祖母とだったのかもしれないなぁと思う。

結構あやうい育ち方だったのかもしれない。



人生40年経つけれど、何にも全く自信というものが持てない。中途半端で、あきらめる。くじけることばかりである。

もっとマトモに育ててくれれば。そういう言い訳を、自分に言い聞かせてしまったりするのである。40年も経つのだから、そういう言い訳はもういい加減手離したら??とも思うのだが、でも、素敵なママさんや優秀なママさんを見ると、思ってしまうのである。



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今年の初めに、母が5000万円トルコリラに投資していて、それが為替の暴落で2000万円になってしまっていたという巨額の投資失敗案件が発覚して、40歳の私はかなり脱力してしまったのである。

脱力につぐ脱力を何とか乗り越えて、今では全方向に何とかやっていると思う(思いたい)。もちろん、「これで合っているのか?」といつも不安で付きまとうし、自己肯定感というものはほぼ無いのではないかと思う(自己肯定感という言葉そのものが苦手だ)。


ただ最近思うのは、何とかやれているのならもしかしたら、バラック小屋での原体験があるからなんじゃないのかという事である。「根性を鍛える」とかそういう良い方向でのモノでは決してなかったが、「汚部への耐性」というか「泥臭い事底辺OK」というか、ある意味「サバイブ経験」というか…。

きれいなものだけで育った人にはないものや、理解できる気持ちがもしかしたらあるのではないか。ろくなものではない可能性も大きいが。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー時代の変遷とともにバラック小屋は珍しくなって、今ではバラック小屋見学にわざわざ遠出することもあるらしい。

祖父母の小屋も、祖父が亡くなり、祖母も動けなくなって同居ののち亡くなり、その後しばらく借りていたが(荷物がすごいので)そののち家財ごと取り壊しになったようで跡形もなくなってしまった。周辺の小屋も同然で違った街並みになっている。

あの部屋で、「何とかならーね(何とかなるでしょ。)」って笑っている祖母の顔面が、昨日のことのように思い出せる。

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