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「オッペンハイマー」を見て思考を巡らせろ【映像の魅せ方と時系列】

日本でいつ公開されるんだろうと楽しみに待ち侘びていた「オッペンハイマー」が私の中で今年一番の名作確定であると声を大にして言いたい。
これはノーラン好き関係なく、見逃せない一作だ。
私はノーラン作品大好きなのはもちろん、第二次世界大戦や物理学も興味のある分野なので、私得すぎる今作なのである。

クリストファー・ノーラン監督が作品に込めた思い

「この映画で、オッペンハイマーは自分の仕事がもたらす“負”の結果も承知の上で、それでも、矛盾した現実に直面し、あのような道を進まなければならなかったという、彼のジレンマに観客を巻き込もうとしました」

「どう考えるべきかを観客に押しつける映画は、成功とは言えない」

ノーラン監督へのインタビューより

この映画の受け止め方は、見る人の立場や育った環境によって異なるのが当然だろう。被爆国の日本人は"なんでそんな爆弾を開発したんだ"と責める声をあげ、アメリカ人は"この原爆投下が日米双方の犠牲者を少なくしたんだ"と称賛の声をあげることだろう。
大切なのはなにが正しいかではない。この映画を鑑賞した後に核兵器について関心を持ち、悩み、自分なりの考えを持つことなのだ。終戦から約80年。人間が何かを忘れ去るには十分な時間である。日本にいると戦争や核兵器が遠い国の話のような平和ボケを起こしてしまう、それこそが一番恐ろしい。

私の中学時代の理科の先生が「無知は幸せであり恐ろしい。自分が無知なことにすら気づけないから。」と言っていた言葉が真理だと今でも思う。


あらすじ

原子爆弾の開発成功に向け指揮をとった「原爆の父」物理学者 J・ロバート・オッペンハイマーの半生を描いたお話。
英雄と言われた彼の心と苦悩を覗く。また、原爆はひとつの出来事であり、第二次世界大戦が終戦したのちに行われたオッペンハイマーの聴聞会とストローズの公聴会にも焦点が当てられていた。

歴史上どんな天才でも、成功をおさめた人でも私たちと同じく普通の人間であり、完璧ではなく脆いところを持ち合わせている。

"人には人の地獄がある"
被爆した日本人には何の罪もなく、本当に悲劇としか言いようないが、開発した側にもまた地獄があるのだ。

まず、この映画を鑑賞するには、二つの映像パターンの意図を理解することと時系列を知っておくことが重要である。
以降、ネタバレ注意。
サントラ聞きながら読み進めていくと気持ちが高まるので推奨する↓


白黒映像とカラー映像

はじまってすぐに、映像が白黒になったりカラーになったり、 "白黒だから過去の回想シーンなのかな"という訳でもなく…
ノーラン監督曰く『オッペンハイマーという人物をより理解してもらうため、心の葛藤を感じてもらうために視点を分けた構造にした』とのことだ。


<白黒映像>ストローズ視点

客観的にオッペンハイマーを視るパート


<カラー映像>オッペンハイマー視点

オッペンハイマーが感じたこと、心の内側を視るパート


まず、オッペンハイマーとストローズが初めて出会ったのは戦後の1947年なので、モノクロ映像は戦後であるということだ。
またカラーでもオッペンハイマーが部屋で質問を受けているシーンは戦後である。


時間軸

時間軸が一定でなく、シーンが複雑に切り替わるのはノーラン作品の大きな特徴であり魅力である。それ故、難解とも言われている。
今作は史実に基づいていることもあり歴史さえ知っていれば混乱も確実に減るだろう。

舞台となっている1920年〜1960年を時系列で並べていこう。

1920年代:大学生

オッペンハイマーは1925年にハーバード大学を3年でかつ主席で卒業。その後、イギリスのケンブリッジ大学に留学し、化学と物理学を学んでいたがホームシックもあり精神的不安定であった。

毒が仕込まれた林檎を手にするボーア博士

理論は得意だが、実験が苦手だったとされるオッペンハイマー。それをみかねたボーア博士に勧められて実験物理学が発展していたケンブリッジ大学から理論物理学が発展していたゲッティンゲン大学へ移籍。
ゲッティンゲン大学にて博士号を取得する。

1930年代:共産党との関わりと戦争勃発

オッペンハイマーは25歳という若さにして、アメリカのカリフォルニア大学バークレー校やカリフォルニア工科大学助教授となり、アメリカ初の量子物理学を講義した。

弟フランクが共産党員になり、共産党のパーティーに誘われる。
共産党員のシュバリエと仲良くなる。
共産党員のジーンと出会い、交際に発展する。

左がジーン、右がオッペンハイマー

-1938年 ドイツが原子核の分裂をさせることに成功。
これは…爆弾を作る気だな…とオッペンハイマーをはじめ科学者たちは考える

-1939年 第二次世界大戦勃発(ナチスがポーランド侵攻)
・連合国(アメリカ・イギリス・ソ連・中国・フランスなど49カ国)
・枢軸国(ドイツ・日本・イタリア・フィンランド・ハンガリーなど8カ国)

補足:今作では描かれていないが、物理学者アインシュタインもドイツが原子爆弾を完成させることを恐れ、ルーズベルト大統領に手紙を書いている。

アインシュタインはユダヤ人迫害をうけアメリカに亡命していた

1939年、物理学者アインシュタインからフランクリン・ルーズベルト大統領宛に送られ、アメリカの原子爆弾開発のきっかけのひとつとなったことで知られる手紙

wikipediaより

アインシュタイン視点の原爆をNetflixで、合わせて視聴いただきたい。

1940年から1942年:マンハッタン計画

恋人のジーンは難しい人物で、オッペンハイマーから花束をもらってもすぐに捨てたり、プロポーズも何度も断っていた。そんな中、オッペンハイマーは元共産党員のキティと出会い、赤ちゃんを授かったことで、ジーンに別れを告げ、キティと結婚(ジーンとはそれ以降も関係が続いていた)
その後、産後うつに悩まされるキティ。しばらくの間、友人のシュバリエ夫婦に子供を預ける。

ドイツにつづき、アメリカも核開発計画を本格的に始動。
陸軍司令官グローブスは、オッペンハイマーをマンハッタン計画のリーダーに任命。優秀な科学者を招集し、ロス・アラモス(ニューメキシコ州)の砂漠に研究用の街を作る。

ニューメキシコはオッペンハイマー兄弟の思い出の土地

1943年から1945年:不穏な予感

友人のシェバリエから共産党員の科学者エルテントンを通じてソ連への情報提供が可能だと紹介されたが、拒否する。しかし、シェバリエを警察や軍部へ通報することはしなかった。(これが後のシュバリエ事件へと繋がる重要なキーとなる)

意外と重要人物なシュバリエ

ロス・アラモスに参加したエドワード・テラー(後に水爆の父と呼ばれる人物)が核の連鎖反応理論を発見。
この理論が正しければ、一発の核爆弾で地球の大気が全て燃え移り、「世界は核の炎に包まれる」
→実際に起きる確率は"near zero(ニアゼロ)"

左がエドワード・テラー

-1944年 愛人のジーンが死去
二人が最後に密会をしたのは1〜2年前であり、彼女はうつ状態であったとされており、史実上は自殺。死因は自宅の浴槽に睡眠薬を服用して入ったことによる溺死(不審死)
浴槽の水に頭をつけた状態で発見されたが、マンハッタン計画情報漏洩防止のための暗殺という陰謀論もある。

Netflixドラマ「三体」でも、一人の科学者がオッペンハイマーの愛人と同じ死に方をしていたのは私の記憶に新しい。

1945年:原爆投下と幻覚

4月12日 ルーズベルト大統領が脳卒中により死去
    →トルーマンが大統領になる
4月30日 ヒトラー自殺
5月7日 ドイツ降伏
ドイツが降伏したことで(一番の脅威はドイツだった)原爆開発反対に対する科学者たちの声が大きくなる。

シラードがトルーマン大統領に宛てた原爆の利用停止を求める署名を促すが、オッペンハイマーはそれに署名はしなかった。実際に多くの科学者たちが署名をしたという。
署名はしなかったオッペンハイマーだが、原爆投下の決定会議にて核兵器の恐ろしさを伝えた。しかし日本列島での上陸直接戦闘を回避したいアメリカは戦争をいち早く終わらせるため原爆投下を決定。

映画内では京都は歴史的に価値のある場所だとして
候補地から外れた


〈日本に無警告で原爆投下した理由の推測〉

①真珠湾攻撃に対する懲罰(日本が無警告だった)
②戦後のソ連の振る舞いを懸念(勢力拡大を抑止するため)→国力を世界に誇示することで世界政治を牛耳ろうという戦略
③放射線障害の人体実験を行うため
※あくまで軍事物を目標としており、女性や子供への被害が少ないようにと考慮はされていた

世界の指導者たるわれわれとしては、この恐るべき爆弾を、かつての首都にも新しい首都にも投下することはできない。

wikipediaよりトルーマン大統領の言葉


7月16日  トリニティ実験が人類初成功

原子爆弾は米軍基地に移管されることになり、戦地に搬送される二つの原子爆弾を見送りながら、原爆が存在してしまう世界に変えてしまったことを憂うオッペンハイマー。

8月6日 広島に「リトルボーイ(ウラニウム型)」投下
   9日 長崎に 「ファットマン(プルトニウム型)」投下
    15日 日本がポツダム宣言受諾・降伏し、終戦

オッペンハイマーは原爆投下をラジオで聴く。
周囲が戦争を終わらせてくれた英雄としてオッペンハイマーを称賛する一方で、彼は原爆で焼け死ぬ人々の幻覚に悩まされるようになる。

「我は死なり、世界の破壊者なり」

10月 トルーマン大統領と初対面
「大統領、私は自分の手が血塗られているように感じます」とオッペンハイマーは語ったが、大統領はこれに憤慨。「被爆者は開発者のことなど恨まない、恨まれるのは落とすと決めた私だ」と言い、彼のことを"泣き虫"と罵り、二度と会うことが無かった。

11月 オッペンハイマーはロス・アラモス研究所の所長を退任
★ここまでは全てカラー映像で描写されている

1947年:視点分岐

米国原子力委員会(AEC)長官のストローズと初対面。プリンストン高等研究所所長に任命され、ストローズとオッペンハイマーの交流がはじまる。

★ここでやっとストローズが登場!
ストローズ視点だと白黒、オッペンハイマー視点だとカラーで描写される

オッペンハイマー視点
ストローズ視点

この日、オッペンハイマーは庭にいたアインシュタインと何か会話をしている。この後、ストローズはアイシュタインから無視されるようになった(ストローズはオッペンハイマーがアインシュタインに何を言ったのか気にしていた)また、翌年に大勢の科学者たちの前でストローズを揶揄する批判ジョークを言われ笑いものにされたことで、さらにオッペンハイマーに対して不信感が湧く。

1949年:新たなる脅威、水爆

ロシアが原爆実験に成功。
水爆開発(原爆の450倍の威力)を進めていきたいストローズと、開発競争はやめて世界で協力して技術を共有していきたいオッペンハイマー。二人は少しずつ敵対していく。


また、原爆開発時のロス・アラモス研究所にロシアのスパイだった研究者がいたと伝えられる。

1954年:オッペンハイマーの聴聞会

下記の理由からソ連のスパイ容疑をかけられたオッペンハイマーは、機密保持許可を問う取り調べをされていた。
・水爆開発を否定している(ソ連の開発をアシストするため?)
・共産党のつながりが多く、共産主義者だと疑われている
・過去、シュバリエのソ連スパイ疑惑を報告しなかった

ホテルの小さな一室

表向きはそんな取り調べだったが、実際はストローズに仕組まれた(審査員も検察官もストローズが指名)もので、オッペンハイマーにかかる嫌疑だけを残して、二度と政治に口出せる立場にさせないことが目的であった。

1959年:ストローズの公聴会

大きな議会

ストローズが米国商務長官(日本の経済産業大臣)に相応しいかの質疑応答。
自分に有利になる人物に証言をしてもらったりと操作するが、委員会が招集した科学者ヒルが、ストローズはオッペンハイマーの社会的地位を破壊したため彼は相応しくないと証言。

Bohemian Rhapsodyのラミ・マレックがヒルを演じる

1963年:エンリコ・フェルミ賞

アメリカの物理学の賞「エンリコ・フェルミ賞」をオッペンハイマーが受賞し、名誉回復。
エンリコ・フェルミは原子核分裂の連鎖反応の制御に成功した人物であり、私の好きな論争「フェルミのパラドックス」の発言をした物理学者。

フェルミはヒルらと研究している
テラーへの嫌悪感を隠す気のないキティ
「あなたよく握手してもらえると思ったわね?」の顔

私の感想

誰が原子爆弾を開発したんだろうかと考えたこともなく、政治に関して疎いので核に対する意識が薄かった自分自身に気づくことができた。
そして、誰の立場になって考えてみてもやはり全員の気持ちが分かってしまうので、誰かを悪者にはしたくないと思った。みなそれぞれがその時の最善だと思う行動をしたのだ。当事者でない私がとやかく言える立場でもなく、「原爆を落とさなければ…」というタラレバは御法度だ。落とさなければ、広島や長崎のひとは助かったかもしれないが別の誰かは命を落とし、その子孫は今この世界に誕生できていない世界線になってしまう。
過去ではなく、未来に目を向け、思考を巡らせていこう。


今回は、鑑賞の際にひとまずおさえておきたい"二つの映像構造"と"時系列"をまとめたが、まだまだ気になる共産党とは?赤札とは?アメリカとソ連の関係は?核分裂や核融合とは?等、これらはまたの機会に。

実際の写真(アインシュタインとオッペンハイマー)

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