一昨年書いたもので、内容忘れると自分で書いていて何を書いたのか読みづらかったので、下記から年代の図を取り出して貼り付けた。
『日本書紀』は年代の記載のない日本の伝承を天皇在位の紀年体に起こしたもので、年代が明記されている朝鮮半島の『百済記』、『百済本記』、中国の『魏志倭人伝』との整合性でかなり苦労した痕跡がある。681年から始めて編者が2世代かかって、飛鳥時代から奈良時代に入って、720年に完成している。結局、整合性を諦めて、ありえない年代記述となっている。倭の五王が記載された『宋書』についても参照したと思われるが、その記載については無視している。『新羅本紀』については明記されていないが、HPで書いた通り、参照した痕跡が残っている。
『百済記』、『百済本記』、『新羅本紀』は現存していない。新羅が滅んで、高句麗の継承を自称する高麗の時代、1145年に完成した『三国史記』に『百済本紀』、『新羅本紀』としてまとめられている。ただ、『百済記』、『百済本記』の逸文が残っていない箇所もあるので、そのまま原文が残ったわけではない。『百済記』、『百済本記』の存在そのものを疑う説もあるが、『日本書紀』の応神天皇紀に残る『百済記』逸文は『三国史記』にも残っているのでそれはありえない。
邪馬台国論争でも自説の結論のために情報の物量でマウントをかけてくる人がいる。ただし、いくら情報の物量が多くても、根拠の経緯がしっかりと明示できなければ、邪馬台国がソマリアにあったというような説も笑えない。そんなことがわかるように「邪馬台国ソマリア説」を書いた。