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連載小説『八百万かみさま列車、たゆたう』第7話

 眼下からどんと焼きの炎と煙が上がってくる。今日は一月十四日。お正月のしめ飾りや古神札・破魔矢・だるま・熊手をお焚き上げして歳神さまを天へお送りするお祭りである。
 しばらくすると、歳神さまがふわふわと天へ昇ってゆくお姿が窓から見えた。両手に色とりどりのお団子がついた長い枝を持っている。お団子は美味しそうに焼けていて歳神さまはひとつづつニコニコしながら召し上がっている。「おぉ!歳神さまじゃ!」とサロン車両でお茶を飲んでいた神さまたちが窓辺にわらわらと集まる。

「おつかれさま~ゆっくり休んでくださいね~」
「は~いおつかれさま~またご一緒しましょうね~」
「また来年会いましょう~」
「は~い」
「お~い、子供たちよ~後はよろしくな~」
「は~い。みなの竈門(かまど)と家を守りま~す」と答えたのは奥津日子神(オキツヒコノカミ)さま、奥津比賣神(オキツヒメノカミ)さまのおふたり。歳神さまの子供たちで、家のかまどと家全体を守る神さまとして昔から信仰されてきた。
「火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)さま~。今年もタッグを組んで頑張りましょうね!」
 火鍋を食べていたヒノカグツチさまがニコニコしながらふたりに言う。
「おうよ。今年もたくさんの食事風景を見守って人間たちを大きく育みましょうな」
「はい。よろしくおねがいいたします」
「こちらこそ、よろしくな」
 かまどの神様ビッグ3は、毎日私たちの家を守ってくださっているのであった。

 一月十五日は小正月。食堂車の朝食では小豆粥がふるまわれる。小豆の赤い色は邪気を払うとされ、厄除けとしてお赤飯やぜんざいに使われてきた古代からの大事な食材。縄文人も火焔土器で小豆粥を食べていたのかもしれない。
 
 元旦から七日までを「松の内」といい、十五日からの小正月期間は「花の内」と呼ぶ地域がある。素敵な呼び方。昨日、歳神さまが握りしめていた色とりどりのお団子がついた長い枝を飾ると花のように見えたから「花の内」と呼ぶとか。日本人の美意識は繊細で秀逸である。

 日本最初の和歌を詠んだとされるのが素戔嗚(スサノオ)さま。これほど人生?神生?の前半と後半が違う神さまも珍しいのでは?とおもうけれど、何か絶対神の意図や暗喩があるのでしょうね。

 サロン車両で出雲の銘酒「オロチノヤマタ」をお猪口で慎ましやかに飲んでいるスサノオさまがおっしゃった。
「清少納言のひいじいさまが詠んだ歌は美学が溢れていたな。えーっと歌はたしか・・・」

 ソファー席の隣には塩椎神(シオツチノカミ)さまがいらっしゃる。枡酒で同じく日本酒を飲んでいるのだがその縁にはお塩がのっている。酒の肴の塩だ。
「”冬ながら空より花の散りくるは 雲のあなたは春にあるらむ”(清原深養父)ですな」

「そうですそうです。日本人は雪を花に見立てていて、とても風流ですよね」
「そうじゃな。美学を感じるね。清少納言の感受性の深さは今でも人間に語り継がれているからその血筋の方というなら納得じゃな」
「”雪の雲の向こうに春が見える”。すばらしい。希望がある」
「スサノオさまは和歌詠みの元祖じゃないか。"八雲立つ…"も素敵な大和言葉じゃったよ」
「ありがとうございます。あまりにも出雲の地がすがすがしかったので。それはそうと、シオツチさまの製塩術と塩竈は日本の宝ですよね」
「そうじゃの。塩は海の恵みじゃからな。浄化作用がすごいからの。日本酒にも合うし。うふふ。感謝感謝じゃよ」
「そうですね。酒呑にはたまりませんな。また塩竈と松島にも行きたいな。あの風景は理想郷ですな」
「うむ。塩竈神社も景色が見渡せる丘の上にあって気持ちのよいところじゃよ」
「えぇ、ほんとに。京都に塩竈という地名があって調べてみたら、光源氏のモデルとされる源融にちなんでいましたよ」
「ほう?」
「彼が塩竈に転勤になった時に塩竈の景色が大好きになって、京都に戻ってから塩竈を再現した庭園を造ったそうですよ」
「ほう。雅かな雅かな。嬉しいな、故郷が愛でられているというのは」
「お、シオツチさま、お酒が空ですよ。どうぞどうぞ」
「お、ありがとう。しかし旨い酒じゃ。ではもういちど乾杯!」
「乾杯!」

 美味しいお塩と和歌と塩竈。旨い酒のつまみ話がいつまでも咲き誇っていたサロン車両であった。

つづく…

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