見出し画像

9匹の猫と暮らすことになった顛末を説明しよう 20220911

 厳密には覚えていないけど、約7年前から9匹の猫を飼うようになりました。私は人間なので、猫を飼うという表現をするのが正しいだろうと思ってそう書いてみましたが、自分の気持ちや感覚に正直に表現すれば、「9匹の猫と暮らしています」というほうがしっくり来る。

 最初の1年くらいは1匹だけだった。近くの大通りの交差点で1匹でふらついていた黒い子猫を片手で握りしめて連れて帰ってきた。自転車で近所に老人ホームに往診に行った帰り道のことだった。

 少し経った頃、外にくる雌猫に餌をやってしまった。そうするうちに、その猫がお腹が大きくなってしまったので、餌をやった責任を取らなければならないと思って、その猫を家の中に入れることに決めた。

その猫は外生活をある意味で満喫していただろうから、私が無理やり家の中に押し込めてしまったという負い目が今もある。数年の間は外に出たいと恨めしそうに外を眺めていた。当家の近辺は車も多く、外猫も多い地域なので完全室内生活をしてもらわなければならなかった。6匹の子猫が産まれ、3匹は知人にそれぞれ世話をしてもらえることになり、里子に出した。残った子猫と、母猫、元からいた1匹を合わせて5匹。

 子猫を里子に出せて少し安心した数日後、玄関先に茶色の子猫が置かれていた。びっくりして慌てて玄関先に出てみると、少し離れた所に母猫らしき猫が座ってこちらを見ている。この猫は前述の母猫に外で餌をやっていた頃に時々一緒に食べていた猫だった。オマエも産んだのか•••••。「この子に離乳食を食べさせてやってください」母猫はそう言って、私の玄関先に子猫を置いていたのだとわかった。しょうがない、餌をやった責任を取らなければならない、この親子も紆余曲折の末、うちに入ることになった。合わせて7匹。

 しばらく経った頃、近所で疥癬が野良猫の間で流行っていた。できるだけのことはしてやりたいので、投薬や触れる猫にはケアもしてやっていた。そんな状況で近くにまた新しく疥癬にやられている猫がいた。すごく人慣れしていて、街の人が餌をやったりしていた。私は餌はやらなかったが、薬だけ飲ませてやった。虫はそれで収まったようだが、掻き傷が治らず、赤い首輪をしているのかと思ったと向かいの奥さんに言わしめるほどの出血があった。おまけに餌をやるのをよく思わない人が注意書きの張り紙を始めてしまったので、次は保健所に通報されそうな状況になってしまった。このふたつの出来事で腹をきめ、ある日この猫をカゴに入れて連れ帰った。治療して里親を探そうと思った。連れ帰ってみると歯が一本もないことがわかり、結局うちで飼うことに決めた。併せて8匹。

 当時、近所にとても美しい灰色の雌猫がいた。人間が見ても綺麗だが、猫が見てもいい猫なのかモテモテで、1年に多いと2回くらい産んでいるような、そんな恐ろしい勢いで猫を増やす出産マシーンみたいな美人猫がいた。その猫の子供で気の弱い雄猫がいた。いつも母親にべったりくっついて離れない、警戒心も薄いのか、外猫なのに触ることができる猫だった。親子で外で何とか生活していたので様子を見ていたのだが、あるときいじめっ子の大きな雄猫が地域を徘徊するようになり、その猫にいじめられ、母親とも離れて怖がってまともに餌にありつけない状態に陥ってしまった。これでは外で生きて行けそうにない、見かねて保護することを決めた。合わせて9匹。

これが最後です。
神様、もうこれ以上猫は飼えません、世話できる限界を超えています、と心の底から願って、今日に至る。もうあれから増えてはいない。


今日の写真:6匹産んだ母猫と残った子猫

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?