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離婚して3ヵ月ヨーロッパ旅行を決めた理由
3ヵ月も日本を離れたことはなかった。
私は旅行が好きだ。
海外旅行も好きだが、これまでアジア圏しか行ったことがなかった。
そんな私がヨーロッパに飛び込んだ最初のきっかけは、
友人から一緒に海外旅行に行こう!と誘われたから。
ガウディファンである友人から
”サグラダファミリアが2026年に完成するらしい!建築中の姿を見に行かない!?”と誘われた。
そう言われると、見に行かないと後悔しそう!!と思った。
長期休暇を取得する予定だった私は、
2つ返事で「いいよ!行こう!」と即決。
2人の休暇が最大限とれる日程から10日間の旅程を確保した。
長期休暇の理由は、不妊治療のため。
結婚4年目。私も子供ができたらもう長期旅行なんていけないし、いいタイミングかもと呑気に考えていた。
「旅行はいい気晴らしになるんじゃない?」と最初は夫も賛成してくれた。だが治療が進むにつれ夫との違和感も大きくなっていった。
だんだんと口を利かなくなり、やがて夫婦関係は破綻。
助けを求めたくても事情を隠していたから話せる相手もいない。
なぜ生きているのか分からなくなるほど。毎日泣くことしかできなかった。
結果、どんなに頑張っても子供には恵まれなかった。
苦しんだ末に離婚。引越。退職。すべてをリセットした。
私に残ったものは「時間」だけだった。
ひとり身になって新たなパートナーなんて今は考えられないし、仕事も元に戻る気力はない。
いっそ思い切って、新しい世界に飛び込んでみようかな?
と軽く決意。(風の時代っぽい決め方だったなー。)
友人とのバルセロナ旅行10日間の後は、
観光ビザめいいっぱいの時間=3ヵ月 をかけてヨーロッパ周遊旅行に出ることにした。
…………..3ヵ月が経過し帰国した今。
この時間は私の人生に必要だったと心から納得している。
子供ができなかったことも、離婚も、退職も、
いまは意味があったんだと思える。
アジアから出したことのない私が欧州の文化に触れた。
多様性しかない社会に飛び込んで感じたもの
それは、『人ってこんなに暖かかったんだ』ということ。
アジアの小娘にもオープンマインドで話しかけてくれる。
「私はこういう人よ!これが大好きなの!」「あなたは何をしているの?どう生きたいの?」『あなたを応援するわよ!』
出会って数十分でそんな会話が飛び交う文化に驚きと感動を覚えた。
日本人同士では"ウチ"を話すのは信頼できる近しい関係性の人にしかしない高い壁があるのに、軽々と越えてくる。
確かに、
日本人が集まる日本語ツアーでは、全員ガイドさんの話を静かに聞く。
世界中から集まる英語ツアーでは、全員の自己紹介から始まる。ガイドへの質問はバンバン飛び交うし、参加者同士の会話も広がっていた。
…どうしてここまで心を動かされたのか?
それは『私は人と話すことが好きだった。』ということに気づいたからだ。
社会人という仮面をかぶって生活するうちに、自分の本心を話すことを避けるようになった。
唯一、嬉しいことも悲しいことも心を許せた人。
元夫にすべて話していた。
でも会話がなくなった。
英語はうまくない、むしろ下手すぎるくせに、
何とか頑張って話そうとしてる自分。
それが私自身だ。
下手でなんぼだ。
苦しかった時期があったことも何とか表現した。
色んな人と会話して、もどかしい思いもたくさんした。
うまく伝わらなくて誤解を与えることもあった。
それでも、今この瞬間を全力で楽しむために頭を心をめいいっぱい使った。
そうしていくうちに、心のつまりが溶けていくような感覚になった。
今まで力んでいたものが浄化されたような。
仮面なんていらない。
もっと自分をさらけ出していいんだ。
同時に英語をもっと勉強したくなった。
たくさんのバックグラウンドの人と話がしたい。
いろんな考え方、文化、価値観を知りたい。
出発前よりも明確な到達目標ができたおかげで、
今までの人生で一番英語学習に気合が入るようになった。
これからのnoteでは、
・英語学習ログ
・ヨーロッパ旅行記
を公開していく予定です。
気になる記事だけでも覗いてみてください。
『私はもっと話したい。もっと学びたい。もっと世界を知りたい。』
だから、英語を本気でやる。もっと多くの人とつながるために。
目標があるやつは強い。2025年の私はだれにも止められないぞ!!
帰国後の気持ちを書き留めたくて。
旅行前の振り返りと、旅行後の決意表明でした。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
ではまた。