第一章 井の中の蛙大海へ
扉の向こうは有名人のサインだらけ。
内装はオールピンク。
鮮やかな色ですが、どこか悲しく暗い雰囲気には変わりありませんでした。
鼻をかすめる香りはどこか懐かしく、その香りは私を北新地から難波へと連れて行ってくれました。
その香りを思い出すのにそれほど時間はかかりませんでした。
目を閉じるとその風景が目に浮かんできます。
それは風俗の待合室の香りでした。
悶々とした男達が全く興味のない雑誌の興味のないページに目をやる場。
数秒の快楽のために1日以上の対価を払う憩いの場の香りです。
ハッと我に帰り、店内を見るとボックス席に座る男性がこちらを見ていました。
「こんにちわ!!よろしくお願いします!!」ペコペコ頭を下げる私。
「ようこそ。こちらへどうぞ」男性にアテンドされ席につきました。
彼はこの店の実質店長のHさん。
恐ろしいほど刈り込んだ震災刈りがトレードマークの岸和田出身だんじり男。
所々に出る泉州の言葉が、日本が誇る教育的漫画「ナニワトモアレ」を思い出させます。
学生生活について、アルコールの許容範囲についてなど5問ほどの質疑応答の後「来月からよろしく」と合格発表。
「なーんや!バーテンなんか簡単やったんやな!設定6や!よっしゃ稼ごか!!」と心の中でだんじりに乗る私、すぐさま来月の希望シフトを送りました。
チェーン店でアルバイトしたことある方はわかると思うのですが、従業員が多いため希望のシフトから結構削られることが多くあります。
私もその経験で育った1人なので、月曜〜金曜の全てに○をして提出しました。
「まぁ、こんだけ出してもシフト通って週3日やなぁ。バーテンなんか人数そこまでいらんやろし」と思っていましたが、翌日届いたシフト表を見るとびっくり。
全部希望のシフト通り。あっという間に学生殺しの畜生シフトの完成です。
「若いし、少々寝やんでもいけるやろ!!金なくて餓死するよりマシやな!資本主義万歳ー!」とポジティブに捉えました。
家に帰って来月からバーテンダーかとウキウキしている僕の中に一つ疑問がありました。
そこにはカウンター席がなかったのです。
バーテンダーと言えば、鉄のプロテインシェーカーみたいなやつをフリフリして、「私を表現したカクテル作ってみて?」とブリブリ金持ちセレブ人妻に指定され、それっぽいカクテルにさくらんぼ突っ込んでカウンター越しに飲ませて、自分のマドラー突っ込むみたいなアルバイトかな思ってました。(※私は義務教育を満期で卒業しましたが、道徳の成績が1未満と言われています)
そのバーテンダーの職場、カウンターがない店で私はなんの仕事をするのか。
不安はあったものの、ここまで来たらやるしかない。
出勤当日、買いたてほやほやのジェル(消毒液の匂いがする安い物)を頭に塗り付け、戦闘服(入学式で購入した死体のようにへばったスーツ)を来て、北新地に舞い降りました。
北新地のネオンを横目に職場へと向かいます。
横切る金持ちもホステスに対する気持ちは1ヶ月前とは違ったものでした。
今日からは俺もここの登場人物の1人。
決して遠い存在ではない。
二十歳の私は大人の階段を駆け上がり、まだ見ぬオトナの世界に踏み込んだ気がしました。
1ヶ月前より堂々と、やや鳩胸に歩いたのを覚えています。
店の暗い入り口は営業時間なので、店名の部分だけ赤く点灯していました。
その赤黒く光った部分が、ネオンに踊らされた老若男女を誘い込む甘い蜜に見えました。
…続…
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