第三章 アネモネの花は邪悪な毒蛾に食い潰される
「ベルエ一本や」
男性客は席に着く前にオーダーを告げました。
夜の世界ではドンペリニョンと並ぶ定番シャンパン。
ラベルに飾られるアネモネの花が象徴的。
「いらっしゃいませ!」と特攻隊Kと唐獅子牡丹Nはすぐさま席に案内。
さすがだと私は感心しました。
客がいないため従業員が近い一番手前の席にあえて案内しました。
全盛期の巨人を支えた名二塁手 仁志敏久を彷彿させる迅速と丁寧を兼ね備えたご案内。
※仁志敏久は2002年の巨人日本一に貢献した二塁手
私はペルエポックとアイスペール、あと人数分のシャンパングラスを持ち、テーブルに運びました
※ここからは来店された丸太腕潰耳おじさんについては"プロ"と表記します
特攻隊Kと唐獅子牡丹Nは早速乾杯。
プロの指示で全員一気飲みです。
プロは私を見るなり何か語りかけてきました。
声がスリムクラブの真栄田に五時間落語させた後みたいな声をしているので離れている私には全く聞き取れません。
プロの横にいる女性が「お前も飲めっていうてる」と教えてくれました。
「あ、ありがとうございます!!」私は清潔で健やかな花王のような人間なので、とびっきりの笑顔でいただきます。
(※実際は吐き気がするくらい強欲で、ドブネズミのようにしつこい低所得者)
プロの指示で一気飲み。
目ん玉から炭酸噴き出るかと思いました。
一応、義務教育を満期で受けているので「ごちそうさまでした!!」と大きな声でお礼を言いました。
(※実際は版画の授業で架空のイタリア人を彫った低能義務教育経験者)
結局一気飲みでベルエポックが空っぽになりました。
もう一本か??とみんな固唾を飲んで、行方を探ります。
「クエルボ1800もってこい」プロがオーダーしました。
クエルボ1800は、当店では最も高いテキーラ。
ここでテキーラかと歴戦の兵士も顔をしかめていました。
私は忠実にミッションをこなす人間なので人数分のショットグラスを席に運びました。
もちろん乾杯後すぐに一気飲み。
飲み終えた後、全員が心の底から悲痛の叫びを漏らしました。
どうやらプロは少しご立腹になったようで、おじいちゃんの金玉みたいにぐちゃぐちゃな耳も真っ赤になっていました。
「お前らなめとんか。貸せそれ」
プロはテーブルのクエルボ1800を手に取りました。
突然ラッパ飲みし出しました。
今すぐにでも美しいメロディーを奏で出し、北新地の強欲な酒飲み達を、堂島川の奥底に誘う北新地の笛吹きと言わんばかりの飲み方。
ガクトや変人YouTuberのように一本丸ごとは行きませんでしたが、結構な量を飲んでおられました。
プロは飲みかけのテキーラを机の上に乱暴に置き、私を見ました。
「膝の上に座れ」
プロの指示通りに動き、膝に座るとテキーラを飲まされました。
「おい、飲みに行くぞついてこい」
プロからスカウト。
ドラフト1位指名の地獄コース。
「これで終わった!もう死のう!学生なんかクソや!来世はよ、、」と流石の私も自暴自棄になりました。
「僕を連れて行ってくださいよ。こいつ入って初日なんで、仕事覚えさせないと」
横から滑り込みで救命具を投げてくれたのは、特攻隊のKさん。
ニーチェは神は死んだと言いましたが、北新地にはまだ若者を救う神が存在したのです。
プロは会計を終わらせ、Kさんの首を掴み店外へ。
支払額は10万円を軽く超していました。
去り際のKさんの顔は覚悟を決めた戦士のように立派でした。まんまんちゃん。
ハリケーンのように過ぎ去ったプロ。
嵐の後は沈黙しかありませんでした。
数時間後階段を滑り落ちる音がしました。
扉を開けるとボロボロのKさんがいました。
まるで捨てられた犬に醤油とみりんをかけて甘辛く炊いたかのように服は汚れ、目はこの世を二重にも三重にも重ねたように虚ろでした。
「おい、水を、くれ」
北新地には砂漠があるのでしょうか。これほどまでに切実に水を求める成人男性を見るのは初めてでした。
コップ一杯の水を飲んだ後Kさんは深い眠りにつきました。
プロが飲んだベルエポックに描かれているアネモネの花言葉は「期待」「希望」
ベルエの空き瓶は店内に無造作に転がったままでした。
私の期待と希望を根本からへし折るようにして。
……続……
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