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ミモザの花のような人

昨年、亡くなった遠縁のおばさんの偲ぶ会が行われたと手紙が届きました。大学の教員をしていたので、元職場で古い友人、知人が集まり行われたそうです。

コロナ真っ只中での葬儀だったので、極々近親者のみの葬儀でした。会えないままのお別れした人たちにとってこの偲ぶ会で、本当のお別れができたことと思います。

偲ぶ会の資料の中には、おばさんの経歴や生前のスピーチ原稿が添えられていました。そこには立派な経歴があるのに、妊娠を理由に肩たたきを経験したことなど、知らなかったことが記されていました。

親戚には誰一人いない才女で、田舎にお嫁に来たおばさんは、子どもの目から見ても、異質な存在でした。私と歳が近い子どもがいたので、時々遊びに行くことがありました。一緒にクッキーを作ったり、当時珍しかった外国製の木製のおままごとセットで遊ぶことは、外国のお家を訪ねているようでした。

「あらあなたいいじゃない♪」ホント歌うように歯切れの良い言葉が飛んできますが、当時の私は聞き慣れない江戸っ子弁に身を固くしたものでした。

そんなおばさんとおじさんは引越し魔でした。ある家はとても転用が高い部屋でした。口を開けてぼーっと眺めていましたら、おばさんは「この部屋なら、ももいろのキリンは飼えるわよ。」とニッコリ笑っていました。絵本の「ももいろのキリン」ことでした。それがおばさんのことを初めて身近に思ったことでした。

大学に編入した時に、卒業レポートに行き詰まり、勉強を教えてもらいに行きましたが、歯に衣着せない江戸っ子弁で「あなた、何がいいたいのか、まったく分かんないわ!」と言われると、いくら鈴を鳴らしたような美しい声でも、目が優しく笑っていても、私は肩が凝るほど緊張したものです。

コロナでお見舞いにもいけませんでした。思い残すことはたくさんあります。でもね、絵本を見ても、おばさんが好きだったムーミンのミィを見ても、いつも思い出します。そばにいるんでしょうね。

もっと話したいこともありました。もっと教えてほしいこともあったし、おばさんの本棚も見せてほしかったです。「あなたは本当に愉快な人ねー」ともっと笑わせたかったです。

「論文」を捨てて、少しばかり腐っている私に、おばさんの原稿は沁みました。「あなた、腐ることなんてないわよ。ホホホ♪」と声が聞こえてきそうでした。おばさんは見てるんだろうな、相変わらずアホな私を。

挨拶状には明るい希望に満ちたような、ふわふわのミモザのイラストが添えられていました。私の大好きな花でした。

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