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15歳の中学生だった私たちが、50歳をすぎて再会した時。

 先週は荒れに荒れた月曜日でしたが、今日の月曜日は、雨上がりの日差しの中、穏やかな朝を過ごしています。

 ジャングルで過ごした小野田寛郎の30年に比べたら、「私の2年なんて大したことない。」こう思えた時から、私の復活が始まりました。そこにはたくさんの友人たちとの交流がありました。

 息子をショートステイに送り出した土曜日に、ふと中学の友人たちに「どうしている?元気ですか?」とメッセージを送信してみました。ところがタイミングが良かったようで、気せずして午後には3人で会うことになりました。

 彼女たちとは、私が中学3年生の1学期に転校したクラスで出会いました。私にとって、たった1年しか過ごすことのないクラスです。私は入念に設定を考えました。そして私は影の薄い、皆の記憶に残らない、虚弱な転校生であろうと設定し、常に横溝正史の文庫本を開いている転校生で暮らすことを決意し、3年1組にやってきました。

 陰気な転校生に親切にしてくれたAさん。鉄壁だと自負していた私の転校生の設定を、転校3日目にいとも簡単に崩してくれたのがBさんでした。彼女たちとの出会いを皮切りに、今もなを交流している仲間たちと出会いました。

 Aさん、Bさんとは、この前にあったのはいつだったか思い出せませんでした。それほどコロナウィルスの流行の2年間の隔たりは大きかったようです。それぞれの2年間に起きていた出来事と変化は、言葉にならないぐらい大変なことでした。

 この2年間の話を聞いていると、困難な状況に立ち向かっている2人を尊敬する気持ちが、溢れてきました。

「すごく頑張ってきたんだね。私はあなたたちを誇りに思うわ。小野田寛郎さんの30年もだけど、あなたたちの2年間も尊敬に値するわ。」

昔から感激屋だった私は、15歳の頃のように声に出しました。そうしたら2人は言いました。

「あなたもだろうが。」

「みんな頑張ってきたんだよ。すごいんだよ。」

 私たちは、誰からも褒められることもなく、ひたすら黙々と自分のするべきことに取り組んできただけでした。お互い、自分が頑張っているなんて思ったこともありませんでした。だから自分を認めてくれる言葉に驚きました。

 ひたすら走り続けてきた日々に、ふと足を止めて、たまたま3人で珈琲を飲む時間でした。

「これでいいのかもしれない。」

 おそらくそれぞれが、同じことを感じ共有したと思いました。そしてそれは、心の中で、燃料となり、また日常に戻っていく活力になっていました。

「また会おう。また会ってお互いを褒め合おう。」

 こうして私たちは、再びそれぞれの日常に戻って行きました。

「ものすごく辛いことも、何があっても、またみんなに会うときには、笑える話のネタにして、みんなを爆笑させてやる。」

 私は彼女たちと別れた後、教授の電話番号の着信拒否を解除しました。逃げずに立ち向かわないとネタにもなりませんからね!

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