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「ご縁」
言葉を細心の注意で選びながらも、やっぱり「これでよかったのかな」と思う時がある。でも時すでに遅しの場合だから、悩んでもどうしようもないのですが。
思い返すと毎日、何かを選んで生きてるわけです。今日は右に行こうか、左に行こうかで、運命が変わるんですよ。いつもと違う右に行った場合に、いきなり車にぶつかる場合もあるし。そうじゃなく知らないうちに難を逃れて生き延びている場合が、そのほとんどだったりする。
その時どきに、なんとなく選んだ時も、必死に考えて選んだ時も、結果は大差ないのだと思う。そんなふうに時間を積み重ねて歳をとっていくだけのこと。それが「生きる」ことであり、その時間が積み重なり「人生」が形成されていくだけのことかもしれない。
人との繋がりも「ご縁」があれば、また出会えるだろうし、やれやれと「縁」が切れて心からホッとすることもある。でも必要な時がきたら、また「ご縁」が繋がることもある。「良縁」か「悪縁」かは、後から考えればいい。むしろ、それはどうでもいいことで、ただその時その時で向き合うだけのこと。それが人との「ご縁」だと思っている。
いま私は古い友人に向き合っている。言葉を探しながらメールを書いている。でもどんな言葉を並べても空虚で陳腐な文章になってしまう。そばで手を握り、肩を抱けばそれで充分なのに、コロナ禍ではそれも叶わない。
だからいま私ができることは、これしかないと必死に取り組んでいる。友人の幸せを心から願いながら、言葉を選んでいる。もしかしたら、友人との出会いは、このための「ご縁」だったかもしれないと思いながら、言葉を選び続けている。