救いようのない不器用なわたしと、救いの女神と神たち。
「バカの大きな手」
私は子どものころから、ものすごく不器用、ぶきっちょでした。
でも手はやたらと大きいので、父から
「バカの大きな手」と言われて育ちました。
確かに絵を描かせたら、ぜんぶオバケのQ太郎になっていた
という母の証言もあります。
小学校はつらい
小学校に入学して、たて笛、オルガン、ピアニカ、音楽の時間は苦痛でした。
そもそも練習なんかしないような子どもでした。
習字はお手本なんか見ないで、短い時間で大量生産です。
だからクビになりました。家庭科、図工もついでに体育もダメダメです。
不器用と粗雑がミックスされた絶望的な子どもでした。
救いの女神たち
中学に入学し、家庭科でミシンに苦戦していたとき
「見てられないから、ちょっと貸してよ」と
隣の席のMちゃんが、やってくれました。
彼女はのちに、本格的に洋裁を習い、結婚式のドレスを自分で作りました。
この頃から器用な人でした。より仲良しになりました。
調理実習で、もたもたしていたら、
八百屋の娘Hちゃんが、
「その包丁怖いから、やらせて。」と
ちゃっちゃっと手際よく切ってくれました。
彼女はよく家の手伝いをしていたので、いろいろと物知りでした。
さらに仲良しになりました。
転校したら
中学3年生で転校した私は、MちゃんもHちゃんもいない家庭科の時間に
大きな不安を持っていました。
ところが偶然、隣の席になった小柄で可愛らしいTさんが自己紹介で
「家庭科部」と言うではありませんか。
予想通り親切で優しい彼女に、たくさん助けてもらいながら
課題は無事にクリアできました。
彼女は私にキャラと違いすぎる、ラブリーなニックネームをつけてくれました。
おそらく人生最大の可愛い呼び名で、かなり恥ずかしいので、誰にも教えたくありません。
入学した高校では、幸いにも家庭科のないカリキュラムでした。
高校を卒業し、これでやっと逃げ切ったと安堵していました。
救いの神たち
ところが、そのうちに子どもが生まれて保育園に入園し、
カバンやコップ袋などを手作りするという重圧にさらされ
昼休みに、ため息をついていました。
すると同僚のKさんが、「布の柄がなんでも良かったら、作ってあげるよ」と
一晩で作って来てくれました。まるで魔法使いに見えました。
それから子どものズボンの裾上げを含めて、ウチの子どもは
Kさんの手作りの小物で学校に通いました。
毎年、3月になると「新学期にいるものある?とりあえず雑巾を縫っておいたよ。」と声をかけてくれました。
それでもたまには頑張ろうと
昼休みに体操ズボンのゴムを入れ替えていました。
すると斜め向かいの席の事務のおじさんが
「ごめん、その手つきは見てられん。僕がやるから、こっちに渡しなさい。」と
おじさんが入れ替えてくれました。明らかに私より上手な手つきで、軽いショックを受けました。
感謝
不器用な私の手つきは、見ている人が手を出したくなる、
よほどのものみたいです。
おそろしく不器用な私ですが
であった皆のおかげで、ここまで生きてこれました。
これまであちこちで助けてくれた皆さん、ありがとうございました。
余談ですが
そんな不器用な私が、看護師を志望をしたのは、やはり間違っていました。
予想通り注射は苦手でした。ある意味、看護師を廃業したのは、社会のためだったと思っています。
進路を考えるときは。資格を取りたいから、給料がいいからだけでなく、仕事に対する適性についても、ちゃんと考えるべきだと、私は声を大にして言いたいです。
ではでは
またね