バカの大きな手
私はものすごく大きな手をしています。しかしこの手はとても不器用です。
子どもの頃から、定規を使っても線がまっすぐに書けません。よく建築士の父から「吐き気がする」と言われました。
父は私の手を見て、「フォークボールが投げれるのにな」よく言いました。野球をしていた弟は指が短く、私は手が大きく、指も長かったからです。素質のある弟の手と、素質のない私の手を比べて、残念だったのでしょう。
私は父から「こういう手は、バカの大手というんや」と言われて育ちました。
母から「手が大きいからピアノを習ってみたら」と、ピアノ教室を勧められました。確かにオクターブは余裕で届きます。でも死ぬほど嫌がり逃げ出しました。
私は楽器が演奏できるほど、指が器用に動かないのです。ハーモニカも縦笛もしんどいです。中学の演奏会ではアコーディオンに当たりましたが、演奏しているフリをして、音は出しませんでした。
手芸も苦手で、スカートと布を一緒に切ったことも2度ほどあります。絵を描くと全部がオバケのQ太郎だったと母が話していました。体育も鈍臭くて嫌いでした。となると中学での4教科、体育、音楽、美術、家庭科は総崩れでした。
大人になった私は、建築物を見るのが好きで、新しい建物も古い建物にも足を運びます。楽器は弾けませんが、音楽を鑑賞し、歌を歌うことは大好きです。絵は書けませんが、芸術を鑑賞することは好きで、美術展や写真展にも行きます。走ることはできないけど、息子に付き合いサッカー、野球、ラグビー観戦にも行きます。
父の言うことは正しかったのです。しかし不器用な私は私でしかありませんでした。だから特にコンプレックスを持つこともなく、育ちました。
20代になり、友人と香港にいきました。買い物に立ち寄ったお店で、おそらく数字の「5」のつもりで、私が手を開き掲げたら、店員のおじさんが、
「クレバー」と言いました。
「どうして?ただのデカい手だよ」
「ここでは手の大きい人は、クレバーだといいます」
長年褒められたことのなかった、大きな手は、ところ変われば「賢い大きな手」と言われるんですね。なんだかとても気分が良くなり嬉しくなりました。確かに手を繋ぐと、男性と同じかそれより大きいので、可愛げのない手かもしれません。
相変わらず不器用な大きな手ですが、生活をする上ではなんの問題もないし、パソコンのキーボードを自在に操ってくれて文章を打ち込めます。しかも香港では褒められる手なのです。
私は今日も、この大きな手に感謝し、愛情をもち暮らしています。