わたし、「生きるのが上手」でしょうか
「あんたは要領がいい!」
高校時代に友だちAに言われた言葉です。「そりゃあんたでしょ」Aは要領が良い商売人タイプだったから、当然、反撃しましたよ。
そこで自分が上手く立ち回っているように人から見られていると知った出来事でした。
実際のところそんなに上手く生きているとは思えません。
短大も専門学校も不合格も山ほど経験しているし、バブルの恩恵も受けることもなく泣きながら勤労学生をしていたし、就職も落ちまくりなんとか就職したら、経歴から抹消したぐらいヤバい病院でした。子どもは知的障害者だし、急死した夫は借金まみれでした。
なんだこりゃあ!!
これのどこが要領良く生きてるというのか?腐れ縁のAに言いたい。
ちなみにAは家業を引き継ぎ社長になった。ずっと苦労して努力して頑張っていることを知ってる。
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生きるのが下手そうな人たちと会いました。繊細で優しい人たちでした。
その人たちから見たら、おそらく私は順風満風で悩みもない能天気で生きるのが上手な人に見えるでしょうね。ふとAに言われたことを思い出した。
私はメガネをかけているから黙っていさえいれば8割増で賢そうに見えると思います。不幸な過去や勉強できなかったことをベラベラと言わないしね。
基本的に私は聞かれたことには隠さずに答えています。私の過去と現在の私のギャップにみなさん興味を持たれますから。
すでに私の過去はネタにして笑いに昇華しているから何ともないです。こうして人は安心して明るく社交的な私であると断定するのです。
それはご自由にどうぞ。
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歳を重ねるほど、集団にいることが面倒になりました。看護師時代の反動でしょうか、集団で行動することがキライです。
半年に1度声がかかる同窓会のメンバーは現地集合、現地解散がお約束です。先日案内した友人も「一人で楽しめる人だから、来れる時間に合流しましょう。」と言ってくれます。友人はこのようなタイプが多いです。
何度か働きに出ましたが、上手くいきませんでした。友人から「もう看護師として働くのはやめた方がいいよ。」と言われていましたが、ついには「働くのはやめた方がいいよ。」と言われ、働きたいと思う人は仕事に恵まれず、働きたくないと思う人ほど、仕事がやめられないとかいう法則があるとかを説明されました。
かつて死ぬ思いで取った国家資格は全く生かせていない。最後のへそくりを叩いて入学した大学院なんて、なーんの役にも立っていない。そのうえ家から出て行きたくないとは、
わたしは社会的不適応者!?
これって生きるのが下手なのかもしれない。
ああそれでもいいさ。どうでもいい。金は稼げないけど、人の役に立つならよいとしよう。
というわけで5月の朝のしののめ、気ままなる旅といかず、助成金申請の書類を書き、曾祖父さんの生涯についての記録を書き、溜まっていたラジオ英会話をこなし、長らく手付かずだった課題の「ライ麦畑でつかまえて」の翻訳をしている。
それでもこんな人生も悪くはないと思えるのは、やはり生きるのが上手いのかな・・・最終判断はわたしが天に召されるときにしましょう。
ではごきげんよう。