体育会系家族に育つ苦しみ
実家の家族構成がスポーツ万能な人間ばかりだったため、運動音痴の私は不遇な幼少期を送りました。
父
父は学生時代よりバレーボールをしていて、流石に現役ではないが、ギリギリまでソフトバレーやら監督やらコーチやらに勤しみ、80歳手前で未だバレーボールの関係者。→老害の疑いあり・・・
母
母は陸上で槍投げをしていた素地があり、私の小学生時代は、小柄だけどソフトボールにバレーボールと、人手不足で駆り出される種目に、それになり役割を果たしていた記憶があります。いきなりピッチャーをしていたのには驚いた。
いまだに健脚で野山を歩き倒しています。去年、あけびを見つけ木に登って実を取ったというので、今生での木登りは禁止を言い渡しました。後で聞いたら、さらに高い場所にある大きな実を取りたくて、父にも木に登らせたというので厳重注意を勧告。
弟
弟は、子どもの頃から足が早く、少年野球からラグビーに鞍替えし、中年デブデブ体型になりながら、時々草野球や草ラグビー?をしているらしい。
両親
なぜか私は鈍足の運動嫌いのインドア派でして、昔から家族での山歩きなど、死ぬほど嫌いでした。そもそも外出そのものが嫌いで、行きたくないと駄々をこね、体育会系バリバリの父にシバかれていました。竹刀を持ってボールをぶつける「東洋の魔女」世代は、こんなものかと子ども心に思っていました。
父にしてみいたら、自分は建築士なのに娘は定規を使っても、線を真っ直ぐに引けないし、バレーボールを見せても転がすこともしない娘なので、ずいぶんガッカリさせていました。
ちなみに母も、娘にはピアノやそろばんを習わせたかったようですが、これも全ていう事を聞かず、全て逃げ出しました。なんとかお習字教室には行きましたが、お喋りが過ぎて破門になりました。
ある意味、私は親の期待をことごとく裏切る娘だったようです。私自身はそんなことは、まったく気にもしていませんが(笑)
だからかもしれませんが、私は娘には過度の期待や自分の夢を押し付けることはしていないと思います。親自身の夢は自分で叶えるべきなのです。
体育系家族の構成員としての苦悩
家族内に、私のような運動音痴が存在するのにも関わらず、この家族は調子に乗り、町内会の運動会では、家族でリレーにエントリーをして私を苦しめました。どれだけ運動会が嫌なのか、理解はできない人たちでした。
弟がロケットスタートでいきなり飛び出し、私にバトンを渡すと、途端にペースダウンします。私の走る姿は「ダチョウ」みたいだと言われましたが、ダチョウのくせに、異様に足が遅くて、他人なら笑ってしまう光景だったと思います。
息切れしてヘロヘロになりながら、なんとか母にバトンを渡すと、元陸上部の華麗なるフォームでごぼう抜きにし、あっという間に挽回、父がゴールを決めるという感じでした。このような仕打ちを受けていた私は絶対にこの家族とは血のつながりのない、もらい子であるという確信がありました。しかし父のコピーと笑われるほど似ていたので、誰も信じてはくれませんでしたが。
実家では、常にテレビのスポーツ中継を流しっぱなしでした。野球、バレー、ラグビー、サッカー、陸上、マラソン、高校野球・・・四六時中、誰かが、何がしかのスポーツを見ていました。だから文化系の夫と結婚して実家を出てからは、極めて静かな生活を送っていました。それに喘息で走ることができなくなったので、もうリレーなんて出場することは永遠にないです。やれやれです。
オリンピック
本日からオリンピックだそうですね。テレビもニュースも全ての番組が、このネタを報じるので、しばらくは付き合うしかないでしょう。もちろん頑張っている選手の方には、頑張って欲しいと思います。そもそもスポーツ観戦は嫌いではなく、息子の付き添いで観戦に行くこともあります。
そうそう息子は障害者ですが、パラリンピックにも興味はありません。知的障害者には、ほぼほぼ関係がないからです。息子は長距離走が得意でしたが、支援学校を卒業したら、それっきりです。運動をする機会も環境も、極めて乏しいのが現状です。しかしゆっくりとですが、改善はされているので、変化には時間をかけるしかないと思うのです。
オリンピックの開催に拘らず、私は静かに暮らしたいのです。騒々しいスポーツのお祭りは少し苦手、それだけなのです。