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お別れの日に
先週は時計、クーラー、息子のiPadが壊れ、Wi-Fiが繋がらなくなりルーターを交換し車を廃車しました。
タイミングよくAmazonセールがあったので、息子と相談し彼の貯金からタブレット端末を購入しました。うるさくせっつかれながらセッティングを行い、ようやく息子の機嫌は治りました。
昨日は1週間ぶりに平穏な1日を過ごしました。溜まっていた「ライ麦畑で捕まえて」の予習を行い、これまた溜まっていたラジオ英会話の聴き逃し放送を試聴しました。
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今日から遅れていた作業に取りかかろうと、掃除、洗濯に励みました。慌ただしい朝に普段は見ないSNSを何の気なしに見ました。
するとお世話になった先生がお亡くなりになったとありました。まだまだお若い方なので、信じられない思いで、誰かに確認しなければと、スマホを握り直した瞬間に友だちからメッセージが届きました。
それから2時間半後、私は葬儀の場にいました。久しぶりに会う知人の話を聞いているだけでした。とりあえず黒い服を身につけて来てみましたが、どうも場違いな気がしてなりません。まったく実感が湧いてこないのです。
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式の進行を見守りながら、いろいろなことを考えていました。ぼんやりと最後に交わした言葉を思い出そうとしました。
実は私は今年に入って、数年ぶりに会いに行ったのです。
その時のやりとりを思い出そうとしましたが、細かい部分が思い出せません。
先生は頭脳明晰な哲学者であり宗教者でした。難解な表現をされるので、理解できない時がたくさんありました。私の生き方は、先生の思想にそぐっていないようでした。
「ただもうこの人とは会うことはない。」
私はもう会うことはないのだろうと結論付けてその場を辞したのです。それが今生の別れになりました。
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いまもあの時の言葉の意味を理解できてはいません。私の理解力では、もう永遠にわからないままでしょう。
会えなくなるということは、こういうことなのです・・・
「先生、ありがとうございました。」
お顔を拝見するまで、いろんなことを考えすぎるぐらい考え倒しましたが、最後のお別れは感謝しかありませんでした。
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外に出たら、空は青いし、いつものように暑苦しい。お腹は空いていました。これが生きているってことなのだ。
そんな当たり前のことを繰り返して生きている人生は、いとも簡単に終わってしまうのです。残り時間が長いか短いかも分からないのです。
それなら
やるべきことは、なるべく早く、会いたい人には会う。行きたい場所には行く。やりたいことは我慢しない。
迷っていたスマホも買い替える決心がつきました。
なかなか進まない原稿もこの夏には完成させよう。
曽祖父の残りの調査をするために東京にも行こう。
まずはスーパーでお昼ご飯を買って帰ろう。
そして
ずっと伝えておきたかった言葉を伝えておこうと思いました。
特大の文字でメッセージを書きました。