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幼少期
私は、気難しいのか、納得が行かないとなかなか物事が進みません。これは子どもの頃からの私の気性のようです。母の証言によると、私はプライドが高く、気難しく、ワガママな子であったそうです。
男系一族に数10年ぶりに生まれた女児である私は、祖母と曽祖夫母、親戚からまさに蝶よ花よと大きく育てられました。3歳になるまで、母が働いていたので祖母に預けられていました。
言葉が遅かった私は、近所の子どもに噛み付くような凶暴性があり、泣くと祖母はファンタを飲ませるので、母が帰宅すると口の周りは、オレンジ、グレープ色に染まり、乳歯は全て虫歯でお歯黒状態でした。
3歳で仕事を辞め、自らで子育てをすることになった母は、「預けた私が悪かった・・・」深いため息をついたとかつかないとか。生まれた弟が気に食わず、踏みつけて歩くなど、聞きたくもない過去の行状が、母の日記には面々と綴られています。
母は日記を気まぐれに読み返し、何年前の何月何日、弟を殴る、いとこを虐める、近所の子どもの噛み付く、癇癪を起こしたなど、私の愚かな幼少期の出来事を読み上げるので、閉口しています。
そんな私も50歳を超えました。幼少期の性格が禍し、それなりに痛い目に会いつつ、今日まで生きてきました。