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息子くんは世界に行けるのか。

余った書類で、
夫の亡くなったあとの事後処理には、多くの住民票などが必要でした。多忙な私のために、友人が委任状を持ち、役所に取りにいってくれました。そして仕事帰りに、私の家のポストに入れてくれました。人の厚意と手間をとってもらったものでした。

大体の手続きが終わった時に、書類が1通余りました。もったいないので、何か使い道はないかと考えました。ふと息子のような知的障害者もパスポートが取得できるのかな。息子も日本を出て、世界を見て歩くことができるのかな・・・そんなことを考えました。
もちろん障害者もパスポートは取れるでしょうが、なんせウチの息子は知的障害者です。成人男性と同様な判断応力はありません。付き添う私自身が怖くてなりませんでした。

旅券申請してみる。
とりあえずパスポートの取得が可能かどうかです。難しいことは後から考えることににしました。余った書類と申請書を揃えて旅券申請してみることにしました。
必要書類はあるし、本人署名は私の代行で可能でした。問題は証明写真です。機械では難しいので、写真屋さんに連れて行き、ぐにゃぐにゃふらふらする息子を、褒めて、おだてて、脅して、苦労の末、規定の写真を撮影しました。カメラマンさんありがとうございました。
あれこれ悩んだけれど、申請書類のどこにも障害者である記載をする欄はありませんでした。

パスポートはあっさりと出来上がりました。息子のような子どもも世界に出ていけることに可能性を持つことができて、とても嬉しかったです。
小学校5年生の息子のパスポートでした。子どもの旅券は5年の期限なので、この時から数回、更新申請を行いました。本人署名の欄も自分で書けるように、頑張りました。

軍資金
息子が生まれてから、お年玉など各種のお小遣いはコツコツと貯金してきました。ところが本人の欲しいものの価格は安いものばかりなので、そうそう使い機会はありません。いつか息子のために使ってやりたいと思っていました。
もし海外に行くなら軍資金はこの埋蔵金から使用すればいいのです。あとは私が息子の付き添いを決意するだけなのです。

旅に出よう
ある日、突然「台湾に行こう!」と閃きました。台湾は20代のころ旅したことがあるし、英語の得意な娘が自由な学生である今しかないと、エイやっ!と決意をしました。
そして格安の台湾へのツアーに参加することにしました。細心の注意を払い入念な準備を行いました。 
そして日本の出国手続き、台湾の入国審査が無事に通過した時点で、私はほぼ燃え尽きました。あえて障害者であることは話しませんでしたが、現地ガイドのBさんの細やかな気遣いやツアーのみなさんのおかげで無事に帰国することができました。台湾の国のみなさんその節ははありがとうございました。「台湾は楽しかった」と雑な記憶でまとめておきますが、これだけは言っておきたい
台湾は今も昔も大好きな国であります。『台湾加油!』

夢をみること
この旅で調子に乗った息子は、本を見ては「ここへ行く」とアピールするようになりました。タブレット端末で、世界地図のアプリで遊びます。彼が指差す国は、アメリカ、イタリア、メキシコと世界中です。サッカー、ラグビー、野球選手の出身国の国旗を指さします。これから先、簡単には外国へ連れていける情勢ではありませんが、息子は大きな夢を持てるようになりました。

「だから頑張って障害者就労支援事業所で働こう。あと50年ぐらい働いたら世界1周も夢ではないぞ!」とハッパをかけています。息子は話を理解はできませんが、夢をみてくれて嬉しいです。

だから英語だ
ちなみに今回私は「Disability」という単語を1つだけを覚えて旅立ちました。11歳でアメリカに行った時は、「Excuse me」だけを覚えてきました。50年後を目指し、単語を増やし、いつか英語を流暢に操り息子と旅をしたいと思います。
だから英語学習を頑張ります。


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