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ちょっと早めの老後の時間
今日の予定はスーパーの特売品のカレーを買うことと明日のゴミ出しの準備です。これで任務終了です。
12月に入って足の弱りを自覚したので、図書館と公園までの散歩を始めました。それも1時間以内です。たまにデスクワークをします。
あとは「あつまれどうぶつの森」をしながらYouTubeのニュース番組を聴き、読みかけの本を開きます。ラジオ英会話で勉強して、先生の都合が合う時にオンラインで「ライ麦畑でつかまえて」の英文購読の授業です。
そんな私はそんな50代を生きています。町内会も辞めてしまったし、所属先もないけれど、機嫌が良いから、まあいいか。
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みなさん20代のころどう過ごされてきましたか。人生で1番キラキラと輝いていたのではないでしょうか。
実は私の20代は仕事と勉強で擦り切れるような日々を送っていました。当時の恩師から「女工哀史」と表現されました。
短大を卒業した頃は、まだまだバブル期の残り香がある時代でした。友だち達は、急激に美しくなりオシャレや海外旅行にとキラキラして見えました。
一方私は、看護学校に落ちまくり貯金は底をつき貧乏でした。なんとか准看護学校に合格し、病院に就職し勤労学生として看護助手として働くことになりました。ちなみに初任給は5万円でした。
朝、晩は病院で働き、昼は学校で勉強でした。夜勤もこなしました。准看学生で2年、進学してさらに3年間の合計5年間をこんな調子で暮らしていました。そのまま就職、結婚、出産、育児、30歳で息子が産まれ、ついに退職を余儀なくされました。
鏡に映るのは化粧っ気もなく、ダサい適当な服を着て、ストレスでぶくぶくに太った疲れた私でした。私の20代、キラキラした思い出は皆無でした。
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それでも10年間は夫の協力でパートや嘱託職員として働きました。けど夫が亡くなり万事休す。ついに仕事を辞めました。20年間バタバタと走り続けてきたので、なにもない時間を過ごすことと定期的に給料が振り込まれないことは恐怖でしかありませんでした。
自分が仕事を離れることで、完全に社会から隔絶されたような気持ちになりました。いま思うと定年退職後の人の気持ちに似ているのではないかと思います。
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ありあまる時間をどう生きるかがテーマになりました。どうやら私は40代から老後生活に入ったようです。
やりたいことをやってみようと勢いで大学、大学院に行きました。学費で私のへそくりを使い果たしました。ずっと自分のためにお金を使う機会が無かったので最大級に満足のいく使い道でした。
相談室に行くことも楽しいです。看護師としての経験や大学院での研究など拙い自分の経験が人様の役に立つことが嬉しいです。
時間的、経済的制約の中、いかにして自由を謳歌するかを考えることは楽しいです。こんな生き方を見出せて私はラッキーだと思えるようになりました。
世間よりちょっと早めの老後の時間です。おそらくこの時間は神さまが与えてくれたプレゼントです。だからこそ人さまのお役に立つように時間を使っていこうと思います。