女の一生、母の人生
母は田舎から出ていて看護師になりました。組織改変で病院が廃止されても、いつか看護職に戻りたいと事務職に移動になりその機会を待っていました。でも29歳で弟を妊娠し泣く泣く復帰を諦めました。
「弟(父)が先に結婚するのは外聞が悪いから、兄貴と結婚してくれ」「実家が遠い嫁はいらんわ。」「年上やしね。」「内孫が生まれたから孫(弟)の面倒は見れない」
結婚前から姑からの言葉がきつく、長女である私を面倒見てもらうために給料のほとんどを手渡していたそうです。それでも働きたかったのですが、復帰は叶いませんでした。
姑からの言葉は何十年過ぎても、母の心の中から消えてはいません。
その後、母は41歳で家計のために復帰しました。楽ではない勤務でしたが、定年退職まで働きました。小さな組織でしたが役職的には父より上の役職でした。
・・・
経済的に自立していたでしたが、母は父にものすごく気を遣っています。私たちが小さい頃は、家計の不足分をパートで働き黙って補ってきました。
いつも「お金がない」と母がこぼしていたので、私と弟は自分の家が貧乏だと思っていました。本だけは潤沢に与えてもらっていましたが、「お金がない」という母の言葉は、私と弟は貧しい気持ちが植え付けられました。
父は「金の話はするな。」という人です。私と弟は生きていくために必要な家計や経済の知識を持つ機会はありませんでした。進路も父に相談した記憶はありません。学費は母が自分の給料から四苦八苦しながら支払っていたことは記憶があります。いまも孫たちのお年玉もお祝いも母が出しています。
いまだに父は家計のことを考えることなく自分の趣味に出歩いています。
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母は早朝のゴルフに父を見送り、こっそりお寺にお参りに行ったり、私のところにやってきます。父にどこに行くと言うのが嫌だから、不在の日に好きな場所に出かけるのだといいます。癇癪持ちの父を怒らせないように過度に気配りをしています。見ている方がうんざりするぐらいです。
母は経済的にも自立している人なのに、必要以上に父に気を遣っているのです。ある時その理由を母に問いました。
「付き合っている時におじいちゃんが亡くなったんだけど、死に際に息子は貧乏人のボンボン(坊ちゃん)だからよろしく頼みますと言われたから。
家計より小遣いが多くなっても、趣味をコロコロ変えても、子どもの教育や学校行事に興味を持たなくても仕方ない。約束だから。私が死んだら、あの世で約束を守ったとおじいさんに言うね。」
うーん
義理堅く善人的な言葉です。いかにも極楽には行けそうな発言です。
でも
姑や長男夫婦から、馬鹿にされたり偉そうに言われたり、時に妬まれたりしていた時の、ドロドロとした感情に思いっきり蓋をしているのに気がついているのかな。
実は母から自分の葬式には婚家の親族は参列させないように頼まれています。
普段の母は信心深く謙虚で真面目で善人なのです。でもこの1点だけが、母の唯一の弱点であり、母の不完全な人間らしい一面なのです。
・・・
でも
まあよい
母の人生ですから。
思いっきり男を甘やかするのも女の生き方の1つでしょう。
お母さんは、とことん好きに生きてくれたらそれでいいです。
しかし
あとは引き継げません。
母が自分で選んだ配偶者です。子どもは母の代わりはできません。
子どもとして法的に必要なことはしますが、感情までは引き継げませんから。
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