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思うようにいかない人生。
20代で進学した看護学校をあと半年で卒業というところで、病気で退学した友だちがいました。度重なる不運や家族の介護を経て、40代で再び進学し、いよいよ来月行われる看護師の国家試験が迫っていました。
「母が骨折して介護をしています。入所待ちなので、ずっと介護しています。おそらく国試は記念受験になるでしょう。」
友人は、何年も何年も、再起を願ってきたのに、最後の1ヶ月の追い込みができない状況にありました。私が悔しい以上に、友人は悔しい気持ちを抑えているとは思いますが、すでに諦めの言葉しかありませんでした。
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ひとりで介護を担っていて、苦しさのあまり酒に溺れた友人がいました。大好きだった友だちです。久しぶりに会って、ファミレスで何杯もビールを飲んでいました。見たままアルコール中毒でした。声にならない苦しい叫びが聞こえてくるようでした。なんどか連絡をしましたが、いつも呂律が回っていませんでした。
あれから私はもう何年も連絡を取れずにいます。
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こんな未来が待っていたとは誰も想像をもしていませんでした。
何もできない自分が悔しくてなりませんでした。それぞれの事情は、受け入れ難いですが、まぎれもない現実です。
誰も悪ことはしていません。みな頑張っているのに、自分の努力ではどうしようもないものがあるのです。
どうしたら助けになるのか・・・結局は何もできませんでした。
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むかし社会貢献事業をしようと、あちこちに出かけていたことがありました。
そのころの我が家は、夫である子どもたちの父親が亡くなり、子どもたちと大学に編入し新しい事業を立ち上げようと必死になっている母である私でした。
半ば放ったらかしに近いウチの子どもたちは幸せになるのかと疑問が湧いてきました。
不特定多数の人のための前に、まずは自分の家族だろう。
まずは自分の家族をなんとかしようと生きてみることにしました。そこで私は全ての人間関係をリセットし、子どもたちそばにいることにしまし。そして進学や進路開拓に集中することにしました。
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あれから10年以上が過ぎました。今の私もやっぱり誰も助けることができません。
結局、だれも問題も困り事も当事者でないと解消できないということでした。でも私はそばにいる。あなたの隣にいる。そのような思いで友人たちの話しを聞いています。
何もできないけれど、自分に繋がる人に真摯に寄り添うことにしました。
これはリアルな友人関係、相談室に来られる方たち、notoで繋がる皆さまです。
私は無力な私を認めました。
しかし何もできないけれど繋がることが力になると信じて、私はここに存在していようと思います。会ったことある人も、ない人も、みな同じ思いです。