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一升瓶に亡き人を想う。
目が覚めてSNSを開いてみました。すると知り合いのお坊さんが忘年会で飲んだ酒のラインナップが目に入りました。
そこで見たのは辛口純米酒「〇〇」
そのまんま亡き伯母の名前でした。
検索してみると、伯母の名前のラベルの一升瓶がドーンと写っていました。
その写真がものすごく主張していたので、寝床の中で叔母さんは私に何かを伝えたいことがあるのかなと思っていました。
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伯母さんは年の離れた大正生まれの母の2番めの姉でした。
看護師の資格を持ち大阪の病院で働いていました。母を看護学校に行かせた人でした。良いお友だちや同僚に恵まれていました。独身で母と私と弟をとても可愛がってくれました。
茶道、華道の免状を持ち、着物や文楽が好きな人でした。伯母の家に泊まりに行った日曜日の朝は、2人で犬養孝の万葉集の番組を見ていました。隠し芸で披露したことはないけれど、和歌を詠む独特の節回しはここで覚えました。
おばさんはそんなにお喋りではないですが、お酒はビール、タバコはピースを愛飲していました。ヒロタのシュークリームやシューアイスをお土産に買ってくれました。可愛い服は伯母さんが買ってくれました。昔の写真ですぐに判別がつきます。
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娘が生まれて孫のように可愛がってくれました。
でもALSで亡くなりました。
たくさん泣いたけど、
お葬式の日は大きな台風で、ニュースで陸上選手のフローレンス・ジョイナーが亡くなったと流れていました。
ぼんやりと「ジョイナーは伯母さんと同じ命日になるんだなぁインパクトが強いから生涯この日を忘れないだろう。」こんな馬鹿なことを考えていました。
そして20年以上すぎた今も忘れていない私がいました。
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つくずく伯母さんはカッコいい人でした。元彼からお供えが送られてきて盛り上がりました。こんなカッコいい女性になりたいと願ってきました。
でも私はその足元にも及びません。叔母は定年退職まで看護師を勤め上げましたが、私は早々にドロップアウト。しかも仕事はどれも長続きしません。華道茶道の嗜みもなく粗雑で手先も不器用です。殿方にはさっぱりモテませんし。まあこの箇所はどうでもいいですが。鳴かず飛ばずの50代、いいかげん大器晩成型にも程があります。
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「おばちゃんもしかして数字を記憶するのが苦手な私のために有名人と同じ日に亡くなったのかな・・・」なんて流石に考えすぎだよね。
風に吹かれては、
冬の空を見上げては、
何をしても伯母のことを思いだす1日。
私は特売のほうれん草99円を買いに冬の町を歩いていました。