見出し画像

コロナ禍の片隅で

現状

 引きこもり生活も長く暮らすと、時間の感覚が麻痺して来るようです。人と会わない生活が長くなると、コロナ禍の自粛期間が失われた時間のように思えます。

 会えないことが、当たり前になる危うさがあります。大学院の先輩がお肉を食べさせてあげると卒業して行かれましたが、私は未だにお肉にありつけていません。それでも彼女とは、時々メールのやり取りで繋がっています。その度に「お肉」の約束を忘れないでと私は書いてみたりします。

 でもそのまま会えなくなった人の中には、もはやその存在が実在だったのかと思うような時があります。そもそも滅多に会えない人とは、コロナに関わらす会えないままに、これまで通り繋がっているので、とどのつまり何も変わりがないのです。

社会人で看護学校に進学

 子どもの頃、親に保護されていて、勉強だけをしていれば良い環境下だった頃には、私は勉強をサボっていました。看護学校に進学しましたが、勤労学生だったので、「あゝ野麦峠」の女工のような忙しくしんどい生活に、勉強だけができる生活の時に、なぜ勉強して来なかったのだろうと後悔しました。そして働きながら学校に行かねばならない当時の制度を恨んだものです。

 でもさらに進学した時には、忙し過ぎて使い時間がなく、准看護学生時代に溜まった貯金で学費を賄うことができて、本当によかったと思いました。

社会人学生

 40歳を過ぎて通信で大学に編入しましたが、単位取得がとてつもなく長い道のりに感じました。おそらく全日で大学に行く方が単位取得は容易だろうと思いました。しかしそもそも私には大学入試に真っ向から挑めるような学力はなかったので、通信制に通うことは私には妥当な学び方だと考えるしかありませんでした。

 この時は家庭の事情で、ほぼ勉強ができる環境下にいたので、仕事と両立している学生の大変さは理解していました。学費を賄う経済力があっても、家庭や仕事の両立をしながら学ぶのは時間的に厳しいのです。社会人学生の多くは「学生時代にもっと勉強しとけばよかった。」と呟いていました。

引きこもりで学ぶ

 結局私は看護学校の5年間以降は、大学も大学院もほぼ学生専従で勉強すること環境にいたことになります。それは看護学校に時に私が望んだことが実現したのです。現在、私は大学院を卒業しまし、その後の論文掲載に向けて、作業をしています。

「あの時、勉強しとけばよかった・・・」を取り戻そうと、念願だった英語の学び直しに取り組んでいます。このような生活は、かつて私が望んだ生活の形に近いようです。

 しかしその引き換えは、職を辞したことでした。そして家庭を再構築していた間に持病と体調が落ちていき、ハードな両立生活は無理になりました。加えてコロナ禍では、咳が止まらなくなる症状の私は看護師として、現場に立つことはもう無理であると判断しました。何か得るということは、このように何かを手放すことで、帳尻が会うのかもしれません。 

 周囲との関係も見直すことになりました。夫との親族との関係は法的にも断ち切りました。儀礼的な年賀状は止めました。スマホも故障でデータが消去する事態になり、古い知り合いの連絡先も消えて行きました。身軽になった分、古い知り合いとは深い繋がりになりました。新しい繋がりもできました。

notoの時間

 文章に書いて、自分の過去を振り返る時間は、私には必要な時間であります。またいつか新しいことに挑戦するための、準備の時間なのです。だからコロナにおける社会の変革を注意深く観察しています。私は未来に希望を持っています。だから腐らず、悲観せず、毎日を暮らしています。いつかまた社会活動に帰るその時のために!!



いいなと思ったら応援しよう!