50歳になったら落ち着いた大人になれると思っていた・・・
看護学生の実習に同行している先生に出会いました。 「学生指導も大変ですね。」と言いましたら 「そうですね。でも彼らは変わるのです。それが指導であり、とても楽しいことなのです。」(この言葉はあくまで私の記憶による再現です) カッコいい!!先生の教育の信念を垣間見たようで、シビれました。
そういえば同じく看護学校の教員をしていた友人も 「最近の学生はなかなか大変だけど、3年間で使えるように育てます。」 普段は温和な癒し系の友人ですが、これまたキラキラして惚れてしまいそうになりました。
私は看護学校の先生になりたいと思ったことがありました。実習指導の仕事のしたことがあるけど、これがダメでね。資質のなさを痛感したので、以後お誘いはお断りをしています。
それもあって教員をされている人。学生を育てようと一生懸命な人を見ると、応援したくなります。看護業界の後輩育成ですから、尊敬に値します。
教員以外の方たち以外にも私の出会った人たちは、みなさん素晴らしい人たちでした。自分の役割を一生懸命に果たされています。その役割はみなさん様々です。
お仕事している人、お母さんと父さんの人、学んでいる人、地域活動をされている人・・・みなさんそれぞれの役割を担って頑張っておられます。私は、そんな人たちに感銘し、尊敬し応援しているのです。
頑張っている人たちを応援している私ですが、私自身は何をしてるのでしょうか。相変わらずの無職だし。お母さんしてると言っても、適当でいい加減だし・・・
友人たちは「貴野は昔から変わってない」「相変わらずだね。」
約30年来の友人も、20年来の友人も 10年来の友人も同じように言います。 私は50歳になったら落ち着いた大人になれると思っていました。最近ようやく人間の基本的な性質は、そうそう変わらないことを自覚しました。正直、軽い絶望感を感じています。
身体的に白髪が増えても、中年太りになっても、更年期障害に悩むようになっても、精神年齢やその思考の中身の本質は大きくは変わっていないのです。
そんな私は何ができるのか、幾度となく立ち止まって考えてきました。
何かが見つかるかもしれないと大学院へ行ったけど、論文を1本も書かずに撤収。仕事をするには健康面に不安があるし、家庭的に何かと制約がある。でも世の中には、それでも頑張っている人がたくさんいるのです。
つまり今だに私はどれも中途半端なのです。
そろそろ考えるのにも飽きて来ました。しかしまだまだ答えは出そうになさそうです。とどのつまり死ぬ間際に「ああ面白かった。」と死ねたら、それでいいかな・・・今のところは大雑把にこれくらいの目標設定でいようと思いました。
これは「私自身が何者であるか」という難問です。
日々少しずつ変化していく私ですが、このまま答えは出ないかもしれません。それでも自分自身という難問に取り組むことが面白いです。時間はどれくらいあるか分かりませんが、一生かけて考えて答えを見つけていくつもりです。