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ご縁の種類

血縁

標準家族の両親と子ども二人の4人家族が珍しくなり、単身者や離婚で親子だけという世帯が増えています。きょうだいがいても、それぞれの家庭で手一杯そうです。私には弟がいますが、両親が亡くなったあとは交流は無くなると思っています。

おじさん、おばさんも亡くなっていきます。遠くに住んでいるイトコたちとは会う機会もありません。ヘタをすると連絡先も知らないのです。血は繋がっているのか、何をしているのか、何が好きで、どんな気持ちなのかも知る術はありません。これが私の血縁関係なのです。私にとっては広島県の親戚も、アメリカの親戚も同様に遠くて薄い関係なのです。

地縁

ざっくり言いますと政府の方針で地域での助け合いを推奨しています。「いやいやそれ無理です。」というのが私の調査研究の結論でした。

「地域包括ケアシステムの5つの構成要素と「自助・互助・共助・公助」https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/kaigo_koureisha/chiiki-houkatsu/dl/link1-3.pdf

厚生労働省

障がい者を抱えたシングル家庭の私ですが、次に町会の役員の順番が回ってくるというときに、隣のおばちゃんがやってきて「役員をするのは大変だと思うよ。会長さんに私から話すよ。」と言いました。私は渡りに船と町内会を退会しました。

退会してもさほど生活に変化はありません。隣のおばちゃんには感謝しかありません。かといって孤立しているわけではなく、それになりに近所とは付き合いがあります。ほとんどが高齢の単身者ばかりで、お互いに助けてあって暮らしています。あの時声をかけてくれたおばちゃんもご主人も亡くなりました。

少子高齢化で地域住民の構成も変化しているのに、従来の地域組織を強化して運用しようなんて虫がよすぎます。もちろん都市部、地方の違い、地域特性など諸々あり、一概には言えませんが。というわけで大学院で研究してみたら、やはりそのような結論に達しました。

「貴野さん、近所に友だちはいないでしょ。でも日本中に知り合いがいるでしょ。貴野さんの地域概念は相当広いんじゃないかな(笑)」役所に勤める知り合いに指摘されました。なるほど納得、私の地域圏は広いのでしょう。

知縁

スーパーに行くと、シルバーカーを押した高齢者、一人で買い物している高齢者を見かけます。私は見知った顔を見ると、「元気そうでよかった。」と安堵しています。おそらく近隣の人たちでしょうが、名前も知らない人たちです。彼らとの交わりのない繋がりを一方的に感じている私です。

notoを開ければ、日本だけでなく、海外に住む人たちとの繋がりを感じています。星の数ほどあるnotoの中で出会った人たちです。顔もの名前も、どこに住んでいるかも知りません。でも記事がアップされていると、安心している私がいます。辛いことや悲しいことがあると、心を痛めますし、嬉しいことがあれば私も明るい気持ちになります。この繋がりは確かにこの世に存在しているのです。そしていつか出会えるという楽しみ(希望)もあります。

「知ってる人と縁」顔や名前もしらないインターネットで繋がっている人間関係。この関係が進化していのも悪くない・・・と思う私です。

だからこそリアルな私自身がちゃんと独り立ちしていなければなりません。そんな独り立ちした人間同士の繋がりがゆるく繋がっているのが「知縁」。これが私のイメージです。

独りだけど独りじゃない。モノは考えようです。さあ今日も生きていこう🍀

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