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ふんわりライフプラン

ライフプラン(生涯生活設計)を考えたことがありますか?

私は若い頃、幾つで結婚して、子供が産まれて・・・と、ぼんやり考えたことがありました。でも就職、結婚、出産、育児と怒涛の日々は、ふんわりした未来を思い描くヒマなどなく、毎日走り回っていました。

40歳を越えて夫が亡くなった時に、ある人から「将来どんな老後を過ごしたい?」と問われました。「子どもを育てる。大学にやる・・・」「だからそれからあなたの老後はどうするの。どう生きるの?」そこで何も考えていないことに気がつきました。どうやら私は強制的に立ち止まって考えることを突きつけられたのでした。

一生懸命に考えて絞り出したのが「旅行に行く。友達と温泉旅行に行きたい。」でした。やる気と時間と予算があれば明日にでも叶うことでした。情けないことにそれ以上、自分が何をしたいのか、まったく思い浮かびませんでした。それは自分の人生ではなく、子どもの成長を軸にしたものだったからです。

「これはヤバい!」と強い危機感を持ちました。誰しも夫みたいに急に死に至ることもあるのです。子どもが大きくなったら温泉旅行なんて、その前に死んでしまうかもしれません。

「自分が何をしたかったのか?」「何が好きだったのか?」「諦めてきたやりたいことが何だったのか?」改めて振り返ると、結構見つかりました。生きているうちに達成しなければならないという危機に煽られて、かつて諦めてきたことを約2年間かけてやってみました。こうして私の人生のリセットが完了しました。

次に「今大切なことは何なのか?」「やるべき優先順位は何であるか?」を問いかけました。すると娘と息子の将来であることに気がつきました。遅ればせながら、ここでやっと子どに目を向けることができました。

長期的な将来設計を冷静に考えると、今必要なこと、そのために短期計画を立案することになります。息子を例えると、長期目標は将来はグループホームに入居する。だから就労作業所で就職を目指す。ゆえに毎日の作業を頑張る。お小遣い帳をつけて生活訓練を行う。休みの日は自分の好きなことで余暇を過ごすことができる。など日々の生活の中での取り組みが明確になりました。    

娘は健常者なので、2人で将来の話をしました。必要と思う教育にお金をかけることにしました。就職した今となっては、もう娘の人生です。あとは自分で舵を取れと彼女に任せています。

次に私です。「長い老後をどのように生きるか?」再婚はしません。息子とはギリギリまで同居することになるでしょう。だったら生活全般、特に家計の「無駄」を徹底的に見直しました。重い荷物や死蔵してきた物を廃棄したり、年賀状を含む人との交際での「無理」を無くすようにしました。

次に「収入」です。落ち着いたら仕事をしようと思いましたが、持病の喘息で健康に不安が出て来ました。咳き込みがひどいので、臨床の場で看護師をすることは断念しました。ではどんな形で仕事ができるのか。ということで昨年から仲間と活動を開始しました。また個人での活動は検討中です。

ライフプランはいつでも書き換えられます。人生は思うようにいかないことが多いからです。個人の努力や我慢だけでは成し遂げられないこともあるのです。でもふんわりでもライフプランを描いてみて、そうなるように前進していけばいいと思うのです。ただそれを考えるには、心の余裕が必要です。学校の授業のように「考える時間」を設けるとよりベターかもしれませんね。私は50歳を越えましたが、今日も「考えながら前進する」こんなふうに生きています。



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