「ねばならない」をやめてみる
「これをしなければならない。」「この店でなければならない」こうでなければらないをやめてみました。自分の決めたルールに縛られていることに、気がついた時に、少しづつ自分を縛りを解き放ってみました。
判断基準は、「それをしなければ、死んでしまうかどうか」です。
面白いことに、それをしなくても、死んでしまうようなことはありませんでした。そうすると昔こだわっていた大多数のことは、どうでもよくなりました。
例えば「子どもの紙オムツはメリーズでないと!」とか、「牛丼は吉野家じゃないとダメ!」とかです。実にくだらない取るに足らないことなので、実例はこの2つぐらいしか思い出せませんでした。
長らく拘っていた仕事をやめた時は、どの組織にも属さない生活に慣れるまでに、さすがに数年を要しました。でもおかげで現在のコロナ禍の生活も、それなりに楽しく過ごすことができております。
毎日の些細な事柄から、判断を要する大きな案件全てにおいて、最終的には、「まあいいか、死ぬわけじゃないし」「ダメなのは縁がないからだね、仕方ないわ。」と思い通りにならないことを受け入れます。激動の40代を経て、そんな生き方に変化したのです。
こんな私の生き方やライフスタイルは、「謎」らしく、よく面と向かって「どうやって生きてるんですか?気になります」と質問をされます。
しかし別に取り立てて変わったこともしてないし、アラブの王族の愛人がいるわけでもないので、「普通に毎日を生きてるだけです」としか答えらません。正直がっかりされますが、事実なので仕方がないのです。
でもみなさん納得できないからか、最後は「変わってるね」とか「変人ですよね」というところで会話が終わるのです。
かかりつけの歯医者さんからも「貴野さんは変人ですよね!僕もよく変人と言われるんですよ!」と、仲間を見つけたような満面の笑顔で、言われました。しかし歯医者で世間話をする歯医者は、かなり珍しいです。やはり類は友を呼ぶなのかな。
20年来の付き合いがある友人である友人からも、「貴野さんを占ったら変人って書いてあったよ。当たってるよね!」と笑顔で言われました。
「ねばならない」をやめてみた私は、どうやら「変人」という場所に落ち着いたようです。まあそれでもよかろう。私は私です。お好きにお思いくだされ。
本日も楽しく生きてゆきます。