「マイノリティ」を受け入れよう。
友人はいつも私に
「もう自分がマイノリティだって認めた方がいいよ。」と言います。
私のどこがマイノリティなのでしょうか?自分では分かりません。単に知的障害者の息子とゴミ屋敷寸前の娘の子どもを持つ無職の引きこもりなのです。
先日、ある方とお話ししていたら
「障害のある子どもを産んで、もう一般的な人生を歩かなくて良くなった。」と仰っていました。素直にすごい人だと思いました。
クロップドステーションの竹中ナミさんも、同じことを書いておられました。こんなすごいことを言える人は、きっと黄金のオーラを纏った特別な人だろうと思っていました。
直接お会いできる機会がありました。するとナミねえ(ご本人からそう呼んでくださいと言われたので、あえて)小柄な普通のおばちゃんでした。普通のおばちゃんですが、生命力に溢れて力がみなぎっていました。素敵な方でした。先日お会いした方も素敵な方でした。自分の子どもだけでなく、多くの人のために活動をされている方々です。私は何もしていません。
先週、娘のゴミ部屋を片付けに行くための旅費を稼ごうと、勢いで求人に応募しました。今ごろになって、早まったことをしてしまったのではないか・・・と今更、社会に出ていくことに怖気付いています。
何かやりたいと思うけど、やっぱり何もしていません。
かつて障害児を産んで、退職しました。それでもなんとか自分が自分であるために、社会と繋がりたいと、パートや嘱託で働いてきました。しかし夫が亡くなり家に入ることになりました。これは2度目の敗北でした。
いよいよ社会から不必要とされていると情けない気持ちでいっぱいでした。子育ても仕事だと言い聞かせて、頑張りましたが、この仕事は給料も出ないし終わりがないのです。
世の中には、障害児の世話だけで暮らす親も多いとは思いますが、そんな生活をしている間に、歳をとっていき、身体のあちこちに不調が出てきます。「外に出るのが怖い」と思うのは、引きこもりとよく似たものではなかろうか。
なるほど、友人の指摘するように、私はマイノリティかもしれないね。そろそろ現実を受け止めよう。「受容」した方が生きていくのが楽になるような気がしました。