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いろどり豊かな感情を名曲山下達郎「クリスマスイブ」とともに
息子と本屋にいました。ずいぶん時間が過ぎてから、店内に山下達郎のクリスマスイブの曲が流れていることに気がつきました。
この曲を初めて聴いたのは10代の頃だったでしょうか。FMラジオから流れるメロディに単純にいい曲だなぁと思っていました。まだ歌詞の意味も吟味しないひよっこでした。
そして20代。JR東海のクリスマスエクスプレスのCMを食い入るように眺めていました。牧瀬里穂のキラキラした笑顔に、ガラにもなく素敵な恋に憧れていました。
そしてこの時期の看護師の詰所は腹の探り合いでした。クリスマスの当直はデートがあるからできないという人や、見栄を張って出来ないという人や、最初から予定がないから「私がする!と当直に入ってくれる猛者もいました。
(Yちゃんあんた気がついてなかったと想うけど、ヤケクソな顔が怖かったよ。)
・・・
30代に入ると子どもたちの世話やクリスマスプレゼントの準備で、それどころでなくなりました。ふと耳にするこの曲に、世帯じみた現実とのギャップに悲しくなりました。でもほんの一瞬だけね。だって毎日、仕事に育児に忙しいから。
そして30代が終わる頃、猛烈な焦りに苛まれました。毎日忙しくて服も化粧も適当、美容院は半年に1度しか行けないからロングヘアをヘアゴムで括っているだけ。体重は臨月と同じになり鏡を見た記憶もない。いや現実を見ないようにしていました。幸か不幸か私の場合メガネをとればある程度見えなくなります。
毎日一生懸命に生きていたけど失くしたものもたくさんありました。
「もう女としての私は終わるんだ・・・」
・・・
焦りの中、私はするりと40代になったのです。あれだけ恐れた40代の1日めは、昨日と変わらない朝でした。
何を焦って、何を恐れていたのだろう。
バカみたい。
ほどなく隣に夫がいなくなっても、山下達郎の曲は何も変わりませんでした。
悲しくもない、寂しくもない。
私は1人なのに。
いつのまにか私は強く生きていたのでした。
・・・
山下達郎の曲が流れているのも気がつかなくなった50代。老いを自覚し始めました。残りの人生をどう生きるかがテーマです。新しい夢を求めてもいいし、恋をしてもいい。
そう私はなんて自由なんだろう。
クリスマスイブの朝。息子はショートステイで不在。いつもより遅く起きた朝。今年の私は1人ぼっちです。もちろんデートの予定もありません。
それでも私はご機嫌です。
窓を開けて掃除をして、いつものように洗濯物を干す。特売の玉ねぎと牛乳を買いにスーパーに行く。そして山下達郎のクリスマスイブを聴きながらPCに向かっています。
改めて山下達郎のクリスマスイブは名曲であると思いました。
10代、20代・・・その時代を私を豊かな感情で揺さぶってくれました。この年月、音楽は変わりませんが、私は確実に変化してきたのです。そして分かったこと幸せは自分がつくるものだということを。
そんなことを思うクリスマスイブの朝でした。