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50歳を過ぎている私ですが、人としてはまだまだひよっこです。

母からアメリカに移民に行った祖父の足跡を調べて欲しいとの依頼がきてから、1ヶ月ちょっとになりますが、すっかり深みにハマっています。

彼の人生の背景を知るためには、歴史学にとどまらず、社会背景、地域性、当時の日本は?と謎がいっぱいで、知りたいことが無尽蔵にひろがっています。私は「知りたい」の気持ちの赴くままに、検索し、本を探し、人に教えを乞う日々を過ごしています。

これまでの調査ファイルを持参し、母校や恩師を訪ねて歩きました。どこへ行っても「それ面白いやん。」「本格的に取り組むべきだよ。」「師匠を探した方がいいよ。」と前向きな言葉がシャワーのように、浴びせてくれました。

実は約3年に渡る大学院での後ろ向きな指導で、すっかり絶望していました。学ぶことすらやめようと思っていました。ところがかつての恩師の方々は、私の「やる気」と「知識欲」に、次々に火をつけ、薪をくべ、時にはジェット燃料に引火させてくれました。

そして「中世史なら来てもらったのに・・・」「ロシアの近現代史だけど先生を紹介するよ。」「大学に戻っておいでよ」とあらん限りの「縁」を投げかけてくれたのです。

偶然ばったりあったご近所の知り合いも、古い友人も、33年ぶりに再会した同級生も、大学院も友だちも、みなさん「それおもしろいやん!」と前向きな言葉を発してくれました。

これはもう調子に乗らずにはおれません。もし師匠に出会えなくても、1人でこのテーマに取り組んでいけそうな気がしました。

結果的に大学院での研究とは縁もゆかりもない課題に取り組んでいますが、研究をする過程での知識を、別の場所で生かせる場を与えていただきました。これもありがたい「ご縁」ですね。これはこれで精進していきます。

予算がないから自腹で作った名刺と、今取り組んでいるテーマのファイルを片手に、今日も目の前の知りたいことに取り組むのです。

壁にぶち当たっても、その方向がダメなら違う方法や方向を考えればいいのです。だから生きている限り絶望することはない。 それが「生きている」ってことなのです。

そんなことがようやく分かってきたようです。50歳を幾つか過ぎている私ですが、人としてはまだまだひよっこです。その先を知るために、今日も次のページを読み進めていきます。

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