【観劇】ネタキャラたちが手を組んだ結果
(画像)ゴブリンの画像がなかった
あの地蔵中毒・パブロ学級・東京にこにこちゃんが手を組んだ!!!
それが、鼻雑技団vol.1「両頬ぺチンペチン謝肉祭」だ。
三劇団とも好きな団体だ。
これはこの劇団の名前を出すたびにしつこく言っていくつもりだが、私の作風が好きな人はぜひ東京にこにこちゃんを観てほしい。 →東京にこにこちゃんは矢御あやせのファンに観て欲しい
そんな三団体の関係だが、地蔵中毒・東京にこにこちゃんは過去にそれぞれの劇団が客演をしている。
もはや地蔵中毒レギュラーメンバーとなった武内慧さんは、元・東京にこにこちゃんのメンバーである。
コンプソンズには過去に地蔵中毒とのコラボ公演を行った実績があったため、「え、コンプソンズじゃなくてパブロ学級!?」とは思ったのだが、それはそれ。
面白い劇団を同じ劇場で見れるのは、とてもとても嬉しい。
私はこれら三劇団が手を組むことを、ドラゴンボール神と神と神と呼んでいたが、
実際の所、ナッパ・サノス・ヤムチャという感じだった。
強さにバラつきはあるものの、言ってしまえば全員がネタキャラである。
今回は
ナッパ=パブロ学級
サノス=地蔵中毒
ヤムチャ=東京にこにこちゃん
と例えて感想を語っていく。
先に言っておくが、公演の内容はにこにこちゃん以外は本当に意味がなく、わけがわからないものだった。
それはそうだ。こちらはわけのわからないものを見に来ているのだ。
(むしろ、裏切ってきたのは東京にこにこちゃんがサイドである。
それもとても嬉しい裏切りだったため、今回の感想のトリを飾る予定だ。)
汚い花火(良い意味で)=パブロ学級
汚い花火に良いも悪いもないのだが、悪意はない。
好意的に言っている。
その分質が悪いかもしれないが、どうか聞いて欲しい。
無教訓・意味なしを掲げている地蔵中毒はもちろん、無意味さではパブロ学級も負けていない。
だが、サノスこと地蔵中毒が重たい岩でできた無意味なら、
ナッパことパブロ学級は軽金属やプラスチックでできた無意味さだ。
肉抜きしすぎて走らせるとぶっ飛ぶミニ四駆のような感じである。
見てない人は「なんじゃそれ」と思うとことだろうが、おそらく見た人は「だよね!」と思ってくれると思う。そうだよね!?
パブロ学級は例えるならば花火だ。
なんかもう、しつこいほどに同じ花火が打ちあがって、最終的になにがなんだかわからない花火が乱れ飛んで終始ワチャワチャしている。
これだけ言ったらさぞかし綺麗な風景だと思うだろう。
だが、その花火は汚い。さながらベジータによって撃ち殺されるナッパの最期のようだ。
しかも、繰り返しのギャグがとにかく多い。お約束とされていた、3回じゃすまされない。バグによって残基が無限にされたナッパによる汚い花火なのだ。
なぜ汚いかと言うと、そのままの意味だ。
今回は、亀甲縛りされ、度々絶頂する男性が登場した。(余談だが、この記事は音声入力を併用している)
ゴブリンを名乗るおじさん・お兄さんが三体も登場した。
当然演劇なので、団員三名が緑色にペイントされて登場したのである。
団員の誰かが野良犬のケンカと例えていたが、本当に最終的に野良犬の喧嘩のように入り乱れ、収拾がつかない展開になるのだ。
しつこいぐらい繰り返される ギャグに辟易するどころか、ある時バグが起き、繰り返されることによって笑ってしまう。今回もたくさん笑った。
私が見た回は三団体で最も笑いが起きていたように感じる。
今回もまたサノスだが……=地蔵中毒
そもそも、サノスはアベンジャーズのキャラで、一人だけドラゴンボールじゃないじゃん!と思うかもしれないが、地蔵中毒はやっぱりサノスなのだ。
なぜならば平均すれば登場人物の半分が死ぬからである。なんと、世界の半分を殺してしまう、指輪を全てはめたサノスの指パッチンと同じ能力なのだ。
時々生存エンドがあるが、大抵は死んでしまう。
今回も、覚えていない(理由は後述)ものの死んだ気がする。
知らないうちに死んでいるのだ。その辺もサノスと一緒だ。怖い。
今回の公演は、地蔵中毒にありがちな「見たし面白かったけど内容を忘れてしまう」という症状に久しぶりに見舞われた。
今回はことさら、無意味さに拍車がかかっていた。
薄気味悪い世界観で、じっとりとした空気を感じていたのを覚えているが本当に内容がびっくりするほど記憶からすり抜けている。
残っているのはあの気味の悪さだけだ。
この体験は、決して気味のいいものではないのが中毒性がある。
これこそが地蔵中毒の真骨頂である。
一年間地蔵中毒を観続け、もう二度と会えないと思っていた感覚を、久しぶりに体感することができた。感動すら覚えている。
なので、感想と書いたが、今回は感想を書くことができていないと思う。
地蔵中毒はやはり今後も目を離すことができない。
ヤムチャの裏切り=東京にこにこちゃん
そして今回最も話したかったのがヤムチャこと東京にこにこちゃんである。
ヤムチャ扱いするのは、明らかに舐めた行為かもしれないが、思い出してほしい。
ヤムチャはスピンオフ作品でも活躍し、ヤムチャなのに大活躍している。
ヤムチャはいい意味でも悪い意味でも裏切るのだ。
仲間は裏切らないが、いつもいつも読者の期待をいい意味でも悪い意味でも裏切る。
それが、今回の東京にこにこちゃんだった。
ようやく演劇感想であらすじを語れる。ようやく語れる。
あらすじ:
主人公・江原は、 ときメモのようなVR恋愛ゲームをプレイする。
VR世界でヒロイン藤崎詩織やクラスメイト、バグ、保健室の女先生(42歳)と学園生活を過ごす江原。
実はこのゲーム、ゲームのキャラクター達にも感情があり、「ご主人様を楽しませる」ことを生業にしている。
そんな中、自分の女性としての魅力に自信を持つ詩織が、江原に何度も何度も振られてしまう。何度もゲームを続ける江原の行動を、キャラクター達は疑問に思うばかりだ。
しかし江原が選んだ相手は保健室の先生だったのだ。
生まれてきた42歳のババアとして生きてきた保健室の先生は、初めての経験に戸惑うばかり。
だがゲームの意志=選択肢は、プログラムになり江原の恋を許してくれなかった。
プログラムを修正するため、洗濯肢は次々にゲームのキャラクターをデリートしてしまう。 江原と、保健室の先生は他のキャラクターの命がけの助けを借りながら、告白の舞台である桜の木へと走る。
この演劇の好きだったところは、ヒロインが非攻略対象キャラの保健室の先生(42歳のババア)という設定だったことだ。
42歳のババアなのだが、当然実年齢という訳ではなく、彼女はあくまでゲームのプログラム。「生まれてからずっと42歳のババア」なのだ。
保健室の先生は、自分に女性としての魅力がないと思い続け、周りからも否定され続けていた。
それを江原が救うという、登場人物のトリッキーさを除けば、ストーリー自体はボーイミーツガールのド王道である。それがまた良い。
結局、黒髪じゃなくても、処女じゃなくても、未成年じゃなくても、自信を持っていなくても、妹じゃなくても、ヒロインはヒロインというだけでかわいいのだ。
更に、人が感じる人間の魅力というのは様々で、画一化されたものなんかではない。
もしかしたら萩田さんが意識したわけではない部分だろうが、そういうエネルギーを感じることができた。
私自身も、自身の女性としての魅力のなさを、日々噛みしめて悩み続けているのだが、 こういったストーリーを見ると「よし、明日も頑張ろう」と思えてくる。本当に「よし、明日も頑張ろう」となる。
私の前に江原くんが現れるのを期待するとかそういうのではないのだが、なんだか不思議とエネルギーの沸く演劇なのだ。
今回は余りにそのエネルギーが膨大だったため、茫然としてしまった。
欲を言えば、この作品を一番最後に持ってきて欲しかったのだが、地蔵中毒パートを最後に持っていかないと、それはそれで脳の記憶をつかさどる部分に問題が起きたかもしれない。