好きな人に「かわいい」って言われたら喜んでもいいらしい
こんにちは、恋愛弱者日本代表の矢御あやせです。
まずは皆さま、前回の記事では沢山の反応をありがとうございました!
正直「ここまでスキを頂いていいものなのか……」と突然の幸せフィーバーに慌てふためいたりしていました。
「共感しました!」「頷きまくった」などの意見もいただき、とってもとっても嬉しかったです!
誰かにマウントを取ったり偉そうにしないということを目指しているため、バカにされたり「それならあたしがあんたの根性を叩きなおしてあげるよ!」みたいな自分では有難い人物だと思っている困った方が現れないかだけが不安だったのですが、そんなことも特になく、本当に書いてよかったと思いました。
さて、そんな第二回テーマは「かわいいと言われること」です。
正直、私自身の自己評価ではどこに出しても恥ずかしくない「顔の良くない女」です。
高校生の頃、じゃがいもとか潰れたお好み焼きとか言われたりしていましたし、更に酷い人(前述の発言もJKに対して浴びせる言葉にとってはだいぶ酷いですが)には「人間じゃない」と言われました。み~んななるべく不幸になってね☆
まぁ、これらは順当に考えて呪いです。普通に「呪い」というやつです。
しかし、「逃げ恥」最終回から広まったこの呪いという言葉も使いどころが難しいと思います。そのお話しは後程。
とにかく、呪いという言葉を自分の都合のよすぎる方向には使いたくないものです。
そんなことは置いておいて、
12月1日、私は久しぶりに趣味の集まりの忘年会に参加してきました。
その会は、前回参加したときに嫌なことがあって、正直参加するのが怖かったんです。
というのも、ある人に「君はセクシーじゃないから」って言わたことがあって、とても落ち込んだ……というか泣きながら死ぬほど怒り狂った上に、クズな元カレとのトラウマすぎる思い出がよみがえって枕を濡らしたりもしてまして。
読んでいる人は、自分を「どこに出してもかわいくない女」と思っている割に、何でそんなことで怒るんだと思うかもしれません。
諦めてるなら、いくら言われてもいいじゃないか、と。
でも、それは違うんです。
かわいくない女の一部は、普段は自分の容姿を頭から追いやって生きています。
必死に鏡の自分から目を背けています。そして、追い出した現実の隙間に、一抹の希望を注いでいるのです。
なので、その言葉は、おぞましい現実を思い出させて、閉塞感と絶望しか感じない、どう考えても勝ち目のない現実に、ただただた唖然とすることしかできなくなってしまいます。
多分、綺麗な自撮りを上げている女の人ですら、自分の容姿に苦しんでいます。
少し前にTwitterで自撮りを挙げて「私ってほんとブス……」と嘆く女の人に「そうだよお前はブス」みたいなことを言ってる人が居て、記憶が正しければ女の人が失礼なリプライを送った人をブロックした……みたいなオチだったと思います。
……あれ、ブロックだけで済んでよかったなぁと思いました。
あの方、めちゃくちゃ寛容だと思います。
これを読んでいる男性読者さんにお願いがあります。
「ブス」とか「かわいくない」とか、女の人に対して、言わないであげてください。
嫌いな人にも、どんなに怒っても、できるなら言わないでほしいです。
なぜかというと、相手は怒る、またはめちゃくちゃ悲しむ、運が悪ければトラウマになります。打ち所が悪ければ死んでしまうかもしれません。
もちろん、仕返しもされてしまいます。寛容な人で打ち首獄門のレベルです。
あくまで、「寛容な人」でです。
もし末代まで呪われなかったら、はっきりいって「その人はいい人だったんだな~」レベルです。
なので、先ほどのTwitterの例はブロックだけで済んだのはとてもラッキーなケースです。
私に行動力があれば住所を特定して掲示板に晒したり、宅配テロなどの嫌がらせしたりします。(※しません)
とにかく、女の子は可愛かろうと可愛くなかろうと、残酷な嘘でもいいから可愛いって言って欲しいんです!!!!
ちなみに、私に失礼なことを言った人は、本を買ってくれた上にサインを求めてくれたので一瞬で許しました。
作家という生き物は購入してくれた自著を見せられて、更にサインを求められると一瞬でご機嫌になり手のひらを返します。
なおかつ感想や絶賛を送られるとその人を人間として好きになります。
でも……許したのですが、残念ながら言われたことの傷は残ったままです。
それは絶望であり、これから未来の恋愛をするにあたって、岩を背負うような心地です。
実際に私はその言葉で1年半ほど恋愛を完全に諦めた期間に入ってしまいました。
……まぁ、受けた傷や無理だと思った経緯はそれだけではないのですが。背中を押されてしまう形になりました。完全に悪い意味で。
そして今年の梅雨時期に失恋(実際は相手にマウントを取られていただけ)のようなことをして、先日の恋愛解放宣言をするまで殻に籠っていたわけです。
多分、女の人が容姿に対する非難によって受ける傷はものすごく深いです。
私は残念ながら、自分の容姿とうまくお付き合いできない人間なので、尚更です。
そんな傷から立ち直るために、「100円払うから誰か可愛いって言ってくれ!」と思っていました。
対価を払って貰う「可愛い」なら、どこか安心できると思っていたからです。
マジでこじらせてますね、私(笑)
でもこの実験は今後実践していこうと思います。
ですが、違うんです!!
そんな受けた傷のことをお話したい訳ではなく、もちろん悲劇のヒロインでありたいから筆を執っているわけではないのです。
今回は、そんな9回ツーアウトスリーストライクからの反撃の狼煙の物語です。
私はその会で、久しぶりに会う大好きなお姉さんと少しだけお話することができました。
その方、独特のペースを持った方で、実を言うと最初はちょっと苦手だったのですが、彼女は話していくうちに優しくて気遣い屋な素敵な方ということがわかり、大好きになりました。
お会いした時、その方に「かわいい!!」と言って貰えて。
(いや、今となっては記憶があいまいなのですが。「ブスなんかじゃないよ」とか別の言葉だったらすみません。)
それが、とにかく、とにかく、生きていくためのエネルギーを大量注入されたかのように嬉しかったんです。「あ、頑張れる」と思いました。
実は私、大好きな人に「かわいい」と言われて喜ぶことに罪悪感を感じていました。
というか、「かわいいと言われたら否定しなければいけない」という自分ルールに呪われていました。
だって、実際お世辞にも顔がいいとは言えない容姿な訳ですし、それで喜んだらおかしいと思っていたんです。
以前勤めていたクソブラック企業の先輩(女)に「かわいいと言われて否定しいアンタはおかしい。別にかわいくなんてないんだから」と指摘されたこともありました。そうなんだ。そうしないと社会に溶け込めないんだ。社会って難しいなぁとしょんぼりした思い出があります。
今考えてみれば、それはあくまでも社会人として必要なことであって……というか、女の僻み目線でしょう。
そんな私の考えを変えたのは、note内に投稿されたこちらの記事でした。
余りに衝撃を受け、私はTwitterでこの記事を拡散したのです。
すると、記事を書かれた方はこうおっしゃっていました。
「女の子はみんなナルシストでいいんです」
私は衝撃を受けました。
そして、確かに「そうだ」思ったのです。
その瞬間、確かに私は解放されたのだと思いました。
前述の会社の人のありがたい発言(笑)だって、あれはあくまで会社での話です。
プライベートで、好きな人に言われた嬉しい言葉を否定したら、むしろ折角声をかけてくれた人に失礼です。
そしてそのお姉さんには、他にもいっぱいいっぱい優しい言葉をかけてくれて、「今までの人生の酷い奴に振り回されてたら損だよ」とも言ってくれました。
そうです。お姉さんの言う通りなんです。
私を傷つける人は、私の人生を保証してくれません。
それも私の絶望を加速させたのですが、囚われたり縛られたりする必要なんてないんです。
私が受けた呪いのは、その人たちの痰(たん)みたいなものです。
当然、痰には責任もくそもありません。
それだけのものなのだから、縛られる必要なんてないんです。
それは私だけのことではありません。
みんなも、好きな人に可愛いと言われたら、容姿や内面を褒められたら、もっともっともっと喜んでいいんです。
それが、その好きな人への最大のお礼なんだと思います。
ですが、私にはまだ課題があります。
全然知らない人に「可愛い」と言われてしまうと、すっごく怖いんです。
このことへの克服(または克服をしないという選択)は、別のお話で。
どうか、沢山の恋愛に自信のない人たちがひとつの呪いから解放されますように。
改めて紹介をします。私が呪いから解き放ってくれた記事です。
「女の子は皆、自分を美人だと思っていいんだよ」というメッセージに胸が熱くなりました。
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