どうやら「いいね」の価値を定義し直す時が来たようだ
今回はインターネット大好きマン達が愛してやまないTwitterについて書いていく。
自他ともに認める立派なTwitter廃人である私にとっても、あそこは心のオアシスだ。第二のリアルと言っていい。
タイムラインを撫でるようにして指をなぞるのがたまらない。脳内物質がどぱ~~~って出る。
時折流れてくる「おっぱい」とか、「にゃーん」とか、「こいつバカだなぁwww(いい意味で)」みたいな投稿は現代人のささくれた心を癒してくれるのだ。
私はいわゆるツイ廃だし、ちょっとアレな人だ。少し病んでしまうと連続でツイートしてしまいがちである。心の調子とツイート数は直結している。インターネットメンヘラマンなのだ。
ある日、ツイ廃たちの世界(Twitter)は激変した
そんなツイ廃たちには忘れられない記憶がある。
2015年、ツイ廃たちにとってショッキングな事件が起きた。
朝起きてリアルよりも大切な世界・Twitterランドがぐるりと180度変わってしまったのだ。そう、ツイートの下にある「☆」マーク。通称「ふぁぼ」が「♡」マークの「いいね」になってしまったのだ。
あの屈辱は忘れもしない。そう、屈辱だ。私たちは踏みにじられたのだ。何をって住居を。
ツイ廃たちにとって、「☆」が「♡」になるのは住居の壁紙が断りもなくポスターや家具を勝手に捨てられてピンク色になってしまったにも等しい。ツイ廃は激怒した。
当然私も激怒した。とってかわる必要などない「☆」マークが居なくなってしまったからだ。
「☆」マークにはどんな感情も当てはめることができる。懐が広い。母なる大地のようだ。マークは星だけど大地なのだ。
だが、「♡」はどうだ。マークから受ける解釈が狭いし、連投で♡を貰うと怖い。ストーキングされているような錯覚を覚える。しかもその恐怖は相手に伝えずらい。畜生……。
「♡」マークじゃなんだか会いたくて震えてるみたいだ。謎のアクションが出るし。とにかく「いいね」は居心地が悪い。♡が飛んでくるのめっちゃ怖い。
noteのスキはめっちゃ嬉しいんですけどね。なんでだろう。やっぱり気軽に送れるからかもしれない。Twitterのいいねは怖い。
しかも、「♡(いいね)」を「ふぁぼ」と呼んでしまう癖は抜けない。「いなくなった人の事を思い出す精神」で呼んでいるものだが、間違いなく時代の新陳代謝からは免れない。「♡をふぁぼと呼ぶ人はインターネット老人」と若者からレッテルを貼られているに違いない。……くっそう、まだ30だわ!!!
それでも「いいね」の価値を見直す時が来た
と、いった具合で今まで私は「いいね」の価値を誤解してた。
そう、なんとびっくり、この記事は「いいね」のネガキャンではない。いいね見直しキャンペーンを目的としているのだ。その割にはいいねへの恨みが深すぎる問題はこの際おいておく。
私はずっと「いいね」を軽く見ていた。
記事を投稿した時にリツイート数よりいいねが多い時「くっそー」と藤原竜也みたいな顔をして「なんでだよおおおおおお」ってゴロゴロと床で暴れ回ったりした。
多分心の中で……。リアルでは……一度ぐらいした気がする。自信がない。
とにかくリツイートはされたい。すっごくされたい。拡散されたらまた拡散を呼ぶと信じているからだ。自分の記事が拡散されれば、きっと仕事のチャンスも増える……。あ、炎上は別です……。
だから、「いいね」だけされるのは、正直に白状してしまうと……ちょっと期待外れだった……。上記の通り、いいねは苦手だったのだ。
いいねの正体は――
しかし、気づいてしまった。
きっかけはslackコミュニティのSNSブランディングで主宰のとみこさんに「Twitterで〇〇RTを目指すのもいいですが、まずは〇〇いいねを目指すなんてどうでしょう?」と目標のご提案を頂いたことだ。
「いいねを目標……?」私は目が点になった。
いいねは拡散にもつながらないし、仕事に繋がる可能性が少ないと思っていたからだ。当時、私は酷く焦っていた。
だから、いつものようにTwitterを指でなぞり、「いいね」をしてくれる人のアイコンを眺めていた。そいえば、色々な人がいいねしてくれている。
ツイートの種類によって、いいねしてくれる人が変わっている。
そして私も、色んなツイートに「いいね」を押した。
そこで気づいたことがある。みんなにとっては当たり前のことかもしれないが、ちょっと恥ずかしいけど言わせてほしい。
皆のいいねは、好きなツイートに押すものなのだ。
既読に押すことも多いが、原則、悪意があって押すものではない。
色んな意味を込めて押している。
それは「☆」マークだった頃と変わらないのだ。
そう、いいねの正体はTwitter社の魔法で姿を変えられてしまった☆(ふぁぼ)なのだ。
なので、いいねを「ふぁぼ」と呼ぶのは間違いではない。断じて間違いではない。
それだけではない。ふぁぼの中身は間違いなく「人」によって構成されていた。何かしらの感情・行動が伴ったうえでの♡マークなのだ。
私は、今までそんなことも気づけなかったのだ。
いいねをくれた皆さん、目先の「バズること」にばかり目を向けて、皆さんの気持ちを軽んじて申し訳ありませんでした。
今、本当に自分が恥ずかしい。
炎上以外で「RTされたい」という気持ちはどうしても残ってしまうが、最近、いいねされると素直にありがたいなと思えるようになった。
最近はただの依存先であったTwitterが不思議と発信ツールとして楽しいと思えるようになってきた。
……のだが
Twitter社さん、それでもやっぱり♡を☆に戻してくれませんか?
♡より☆の方がいいという気持ちはなかなか変えることができそうにない。
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