【連載小説・第六回】近くて遠い星の在処・6
中学三年生の「僕」は自らを煤けた石ころと呼び、特別な存在になることから逃げ回りながら生きている。彼はある日、特別な存在である親友の手によって「星の王子様」と再会してしまった。
折角再会した王子様だが、僕が彼にキスをしてしまった事により、関係が崩れ、僕はシュウを「殺して」しまう。
「シュウ、14歳」編・「僕、18歳」編から成る二人の少年が「いつの間にか奪われてしまった自分の星」の在処を探す物語。
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近くて遠い星の在処
「僕・18歳――灰色の墓標①」
僕がシュウになって、何度目かの春が来ようとしている。
一般的な価値観で言えば高校を卒業したともいえるのだが、僕はあまりその感覚に自覚が持てない。
煮え切れない高校生活を過ごし、友達関係は学校のものよりも遼たちと遊ぶことを重んじていた。
バイトも忙しく、学校が終わればすぐさま制服を脱ぎ捨ててて「シュウ」の制服に袖を通した。僕は「シュウ」でいる時間がとても長かった。
何度か私服でオヤジたちと過ごして金を手に入れると、僕はネットでシュウの行っている学校の制服を買ったのだった。
その制服は真新しかったのだが、前の持ち主は不登校になってしまい、まもなく学校を辞めてしまったらしい。
ワイシャツの袖のが薄い染みになっているから、少し安くしてくれた。
その彼とも、IDの交換はしたものの、取引が終わったら音信不通になってしまった。
ふと気になって、住所を訪ねてみたが、そこは宛名の人物の家ではなかった。
会いたいと思ったのは、その袖の先に付いた「取れない汚れ」が、血液だとわかったからだ。
制服は、「優等生の裏の顔を見た」と勘違いしたオヤジたちにとても好評だった。
その舐めるような視線に、瞳でたっぷりと光を含んみ、笑顔で答えた。
できるだけ透明に笑おう。僕は新しいシュウなのだから。
そろそろ、シュウと最後のオセロ勝負をした日が近づいている。
随分着古した、”僕の制服”のポケットに手を突っ込み、泥のようなネオンを受けながら僕はカラオケから出た。
「――? ――、久しぶり! ――だよな!」
『シュウ』であるはずの僕を呼ぶ、おかしな記号が聞こえる。
不自然な声。それは声というより音に近いかもしれない。
僕は振り返る。
そこに居たのは、大く見えるようで小柄な体をひん曲げ、ポケットに押し込めた、錆びた銅像のような男だった。
袖が擦り切れた上下黒のスウェットに大きなリュックを背負い、ぼさぼさの髪は目元まで伸び、口はマスクで隠されている。
それにも関わらず、スニーカーだけはやけに真新しい。
そいつは、ずっと何かに怯えるかのように震えていた。
「……誰ですか」
僕は腰を引き、いつでも逃げられるように構えをする。
銅像のような男はぎりぎしと顔をしかめたくなるような音がしそうな腕の動きでマスクを外す。
指先はささくれでボロボロになっており、その動きは油を刺していないマシーンように惨めでぎこちない。
「……っ、そうだよな、忘れちゃったよな」
震えるような声はなぜか無機質で不気味さを加速させる。
今まで相手をしたやつに、そんな男はいなかったはずだ。それに、このなりだがきっと彼は若い。いっていたとしても25歳程度だろう。
だが、マスクを取ったその顔を見て、僕は思わず肩にかけたバッグを落としてしまった。
それは――今、この瞬間に最も見たくないものだった。
「…………シュウ」
「――、久しぶり」
それは、光るのをやめた、死んだ後の星だった。
僕とシュウの抜け殻は喫茶店に入った。周りはキャバ嬢やホストばかりで、タバコと香水の匂いが店内に充満して目が痛くなった。
「奢るよ。好きなの頼んで」
「ありがと」
シュウの抜け殻は、口を歪ませてみせた。
それが笑顔であることに気づいたのはだいぶ経った後だった。
表情の変化が不自然になっている。
「遼には言うなよ」
僕の口から出た言葉は、呆れるほど情けないものだった。
外の世界を知ったはずなのに、遼がこの国の支配者ではないと気づけたはずなのに、僕はまだ、遼のまばゆい光を恐れている。
近頃、遼は更に輝きを増した。
高校でも人気者だったらしい。
だが、彼は中学の頃の仲間も大切にした。あの頃のやつらは、シュウ以外は相変わらず遼とうまくやっている。
「……きみは、まだ遼と付き合いがあんだな」
「遼が逃がしてくんねーの」
「おれはもうねぇよ」
シュウの抜け殻は、ぼりぼりと布越しに腕を掻きむしったあと、コーヒーカップを大事そうに持ってちびちびと口に含む。
余り体調がよくないのか、少し飲めばげほげほと咳をしていた。
「……思ったより薄情なやつなんだよな」
僕はその咳を無視して意地悪を言った。
遼の光からどうしても逃げたくて、シュウの抜け殻にすら縋りたかった。
近頃の僕は、死ぬまで遼の影でいるのかもしれないと不安を抱いていただから。
「……遼はLINEくれるよ。おれが返してねーだけ」
「ふーん」
僕は得意の興味ないフリをしながらも、自分の言動を恥じていた。
遼はあくまで太陽であり、僕らの王様なのだ。もしかしたら、シュウが光を失ったことをいちはやく察知していたのかもしれない。
「きみは、遼のこと、嫌い?」
「……嫌いじゃないけど、つらいよ」
「はは……おれも一緒」
シュウの抜け殻は、台本を読むような口調で気味悪く口端を上げると、また一口コーヒーを含み、同じように苦し気に咳をした。
星の王子さまを語った時のように、シュウの抜け殻は、驚くようなことを言ってくれなかった。
僕と言えば今にも心を押しつぶされてしまいそうだった。
シュウに何があったのか、なぜ彼が無縁のはずのあんな汚い場所にいたのか、なぜシュウは死んだ星になってしまったのか、想像しようとすると、吐き気のような嫌悪感がこみ上げておかしくなってしまいそうだった。
今にも叫び出したい衝動に駆られる。
あの間違いのテストの順位を受け取った日のように、言葉にできないぐるぐるを獣になって叫びながら、どこかに行きたい。
今度は遼の家ではなく、もっともっと遠く、誰も見つけられない場所に行きたい。
「帰る」
どうしようもなくなって、僕は席を立つ。
シュウは光の消えた目で立ち上がる僕の姿を追うと、「待てよ」と抑揚のない声で、溺れた犬のように空気を掻いて僕のコートを掴む。
「お前、おれにキスしたこと、忘れてんだろ」
「は?」
コイツは一体何を言っているんだ。僕を苦しめたあの忌々しい記憶など、忘れられるはずがない。
「あ、思い出したか? あれ、遼に、言ってもいいんだぞ」
錆びたナイフを喉元に突き付けられたような感覚だった。
喉元は痛みなどなく、ただただ押しつぶされるだけ。
それにも関わらず、背筋にじわじわと嫌な汗が浮かび出る。
「……何が言いてぇんだよ」
シュウの抜け殻は、よれた布きれのような笑みを浮かべて僕を見る。光の無いざらざらと乾いた瞳は、何も映っていない。
以前のシュウの吐く言葉は、もっときれいだった。
なのに、どうしてこんな喋り方をするんだろう。
何もかにもが、僕にとっては悲しかった。思い出の中の綺麗なシュウが、どんどん真っ黒な墨で汚されていってしまう。
「あのこと、秘密にしてほしかったら……おれの、友達になって」
その時、僕は思わず目を擦った。
なぜかその一瞬だけ、この抜け殻にもう一度星が灯った気がしたからだ。
以前のような美しい煌めきを宿したシュウが見えた……ような気がした。
だが、それは一瞬で燃え尽きるマッチのように、元の抜け殻へと戻ってしまっていた。
僕と抜け殻はLINEを交換し、もう一度夜の街へと溶けていった。
シュウの抜け殻はLINEのIDを作り直したらしい。
アイコンは初期設定のままだった。僕は眉を顰める。
昔の彼のアイコンは、僕たちで遊んでいた写真のはずだったのに。
なぜ、あの抜け殻はシュウの光を無くしてしまったんだろう。
僕が新しいシュウになろうとしたから?
ぎくり、と心臓の温度が失われていく。
僕は、とんでもないことをしてしまったのではないだろうか。
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☆次回、僕は変わり果てたシュウの秘密を知ってしまい――。
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