【追記あり】note連続更新100日間で一度も編集部のおすすめに入らなかった人が、泣きながら見つけた「本当の目標」
2019/02/23 追加
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今回はnoteを100日間更新したお話ですが、おめでとうムードではなくめちゃくちゃにお通夜ムードです。
「創作、やっぱつれぇわ……」みたいなのが読みたくない人、私のそういう暗い一面が好きではない人にはおすすめできない記事です。
最初に謝ります。ごめんなさい。
そして、とても大切なことなのですが、これは自分相手限定に思ってることであって、皆さんに思っていることではありません。
私は自分自身だけ例外で蔑んでしまう、割とガチ目にやばい精神構造を持っている人なので、同じ状況の傷ついている人がいたら「それは違うよ」とちゃんと言うことができます。
なので、「私もだけどやばくない?」とは思わなくて大丈夫です。不安に思われたらコメントを頂ければお返事させて頂きます。
連続更新した100日が、「おすすめに載れない100日」になってしまった瞬間
100日連続更新がわかった瞬間、私はベッドの上でぼうっとしていました。
今、家庭の事情で家事負担が増え、精神的に厳しい状態が続いています。
そして、noteで歩んだ100日。私はひどく、ひどくひどく落胆していました。
100日連続更新。通常なら自分の功績や努力に喜び、自分を褒めるべきことです。
なぜ、落胆したのでしょう。それは……
「編集部のおおすすめ、一度も載れていない……」
次の瞬間、うずくまって何度も何度も布団を叩き、悲しくて辛くて、やっぱり悲しくて。でも一階にいる家族には悟られないように必死で声を殺して泣いていました。
何度も何度も頭の中で繰り返した不安が蘇ります。
私は、noteには不要な存在ではないのか。
ずっとずっとこの不安を抱え続けていました。
私はnoteの人気者にありがちな、「すごい人」でも「何かをしている人」でもありません。
ただの社会不適合者だし、勤め人時代に同じ職を2年以上続けられてないし、何か職についてるわけでもないし、今は本だって出せてないですし、おまけにブスでデブです。
自分のことを……人間かどうかだって怪しいと思っています。
そんな私には、人に自分の持っている役立つ知識を提供するHOW TO記事は書けません。自分には何もないからです。
「こういう人はこうです」と言い切る記事も書けません。誰かを自分がされてしまったように、切り捨てるのが怖いからです。
デブでブスなので、noteの主流であるアイコンを写真にすることだってできません。
私に書ける記事は、noteの人気傾向から大きく外れています。
やっぱり、私はnoteの劣等生なんじゃないか。
noteというサービスにおいて、自分は想定されてないユーザーで、排除されてしまうのではないか。
今も不安に思っています。思い続けています。
今、この不安をどうにか振り払いながらこの文章を書いています。
その間も怖いです。怖くて怖くてたまりません。数行書くごとに涙があふれ、拭いながら、キーボードを汚しています。
止まることなく膨らみ続けた不安
「note編集部のおすすめ記事は過去のものを見ていけばわかります」
そう聞いていました。
見たいのですが、開くと……その顔ぶれに、私には書けない「ためになる記事」の多さに、対抗意識を抱いている「あの人」がいることに、手が震え、吐き気を催して涙がぼろぼろとこぼれました。
100日。私はとっくの昔に超えていた限界のしわ寄せが来ていたのです。
決して、「編集部のおすすめ」を「いや、簡単に入れるでしょう」などとナメてかかっていたわけではありません。
私はずっと、ずっとずっと、「おすすめに載らないとnoteというサービスに矢御あやせというクリエイターは認められない」と思い続けていました。一種の自己洗脳です。
ですがそこは、運営側とユーザー側の認識の違でもあると思います。
「おすすめ」という制度がある以上、そういう風に思いつめてしまうユーザーだって居るんには居るんだと思います。
これはなにも、私だけじゃないと思います。自分を正当化するというわけでもありませんが、声を大にして言います。
そういう人たちの意見は「考えすぎだよ〜」と切り捨てられがちなので、敢えてちゃんと言葉にします。
当然、創作をするにあたって苦しいことではなく、楽しいことの方が圧倒的に多かったし、メリットも数えきれないのです。
オススメに載るための創作活動ではない
そろそろ思ってきた頃でしょう。
note編集部におすすめしてもらえるようなものを書けばいいじゃないかと。
……多分、それは不可能です。
残念ながら、私は今のところ私の執筆スタイルを曲げられません。
努力の方向性にはいろいろあります。ですが、私は「更新を継続する方向」で目一杯まで努力してしまったのです。
今もぎしぎしと心の音を鳴らしながらnoteを書いてます。こちらの初稿を出した後は一度寝込みました。修正前も寝込みました。
私が、皆さんに届けているのはそういう文章です。
ありがたがれとは言いませんが、心をすり減らして書く文章を書いています。それを、長文ではないにしろ、100日続けています。
なので、急には曲げられないのです。多分、曲げるために必要なのは心の余裕と自己容認です。
その両方が、今の私にはありません。
逆に、ゆっくりとならば変わっていくことができます。
事実、私はnoteを書き続けることにより。以前より格段に生きやすい考え方を持つようになっていきました。
書いていきながら自然と曲げていくのが私が100日間で培ってきたものなのです。
これは財産です。そこは強く言います。人の期待の奴隷として生きてきたので、辛いです。でも、震える足を叩いて言います。……ごめんなさい、好きにさせてください。
私には良いところなんて何一つない、人間の落第生ですが、それでも唯一、「文章を心で書く才能」だけはあると思っています。
note編集部のおすすめのリアルと、新たな「指標」
100日目から数日。
どうしてもこの話を誰かに聞いて欲しくて、面識も会話したこともないある編集者さんにSOSを発信しました。
普通ならば取り合ってくれないのが当たり前の取るに足らない意見に、その人は真剣に話を聞いてくれました。
そこで知ったことが、いくつかありました。
まず
・noteの「編集部のおすすめは人力で行われている」こと。
これは知っていたのですが、次の条件がまさか上のことに結びつくと思っていなかったのです。
・noteのアクティブユーザーは月間1000万人。その中から編集部のおすすめに選ばれるのは「とても大変なこと」。
それならば、私の記事を拾ってもらえないことは当然です。皆さん忙しい中でやってるのです。
ただ、私がツイートで紹介してした記事がきっかけでおすすめ入りした記事が何件もあったのは正直辛かったです。
嬉しかったけど、その分辛かったのです。
そして、実は私の周りには編集部のおすすめに選ばれている人がたくさんいました。
それも自分の首を真綿のように締めて辛くて辛くて仕方がないのに拍車をかけていました。
ですが、その方は言いました。
・周りにおすすめ入りしてる人が多いこと自体が「まれ」なことで、そういった人の多い環境にいる私は、すでに「良い書き手」である可能性が高い。
新しい視点で驚いたとともに自信がつきました。
感想ツイートのおすすめ入りについては聞けなかったのですが、間違いなく見る人が見てれば評価してくれます。私も誇りに思います。
精神が立ち直ってきた今ならわかるのですが、書いたものの評価は回りの皆様にしていただき、読む評価を運営側から認めてもらっている書き手は数少ないはずです。
だから、私は101日目に「進んだ」。
私は多数派の人間ではないですが、必死で発信してきた記事たちは、「正解ではなくて辛い人」にとって、たまたまよりかかる壁であったり、「何か」になっています。
100スキ越え記事を5つ。
高いエンゲージメント率。
ありがたいことに、私の記事を支持してくれる人は少なくありません。……すみません、自慢です。私の自慢であり誇りです。
私の記事を見て、何かしらの行動に移してくれた人だって少なくありません。
「コメダでココア飲んだよ」
「資生堂さんでおススメされたのが、あの記事の口紅だと思ったとか」
「私も指輪をするようになった」
「あのラーメン屋、今度行ってみよう」
「自虐について考えてみました」
「記事を読んで連絡してみようと思いました」
全て、私が実際に頂いた言葉の数々です。
これらはnoteというサービスのおかげであり、それ以上にnoteを書き続けた自分が得た宝物です。
101日目の更新ができたのは、皆さんのお陰です。皆さんの存在がなければ多分、とっくにやめていました。
100日目の不安に押しつぶされていました。
読んで欲しい人がいなければ、諦めていました。
スマブラのやりすぎによる肩の痛み(バカだなぁ)と不安を抱えながらもこうしてこの記事を「書こう」という気持ちにはなりませんでした。
直そうともしませんでした。
皆さんの報告はいつだって涙が出るほどに嬉しかったです。
不安に負けそうな時、いつも私を助けてくれました。
私の文章を楽しみにしている人は少なくありません。
運営さんは私を推してはくれないかもしれないけど。
私のもらえた記事への反応は、「すごい人」から見たらわずかな人数かもしれないけど。
私は大したことじゃない人ですが、大した人じゃない私が、こんなに、こんなにたくさんの人の心や行動に影響を与えているんです。
それって、凄すぎることだと思いませんか?
私は思います。書きながら、二稿に手をいれながら、文章を削りながら、もう一度皆さんに感謝し、今度こそ自分の100日間を褒めてあげたいと思いました。
もう一度……皆さん、ありがとうございます。
思い出した「本当の目標」
皆様に守れれながら、私は不安と戦い、負けかけ、そしてもう一度「本当の目標」を思い出しました。
私はnoteを始めた当初からずっと「エッセイの書籍化」を目指しています。
ですが、違うのです。正確にはもっと大きな野望を抱いていました。
私は、雨宮まみさんと加藤はいねさんの中間になりたい。
読んだら最後に「よし、生きてみよう」と思える作品を世に出したいのです。
自分を褒められなくて、心から血を流して生きている人の肩に、「大丈夫だよ」とそっと手を置きたいのです。
そのためには書籍になるだけではなく、売れたい。売れたいんです。ただ売れるんじゃなくて、沢山の人に読んでもらって元気づけたいのです。
「たくさんの人を元気にする本を出す」。これは、私がデビューした当時から抱き続けていた気持ちです。
そんな大切なことを見失いかけてたのですが、この野望を叶えるためにはnoteの力を借りることが不可欠です。
私という書き手がnoteにとって不要だったら申し訳ないのですが、すみません。見逃してください。
居座らせてください。不要物が言うのは申し訳ないのですが、私はnoteが好きです。大好きです。運営さん、ありがとうございます。
校正を担当してくださった方、本当にありがとうございます。お陰で記事が良くなったと思います。
そして、私の記事を読んでくださった皆様。最後にもう一度、本当にありがとうございます。
最後まで読んでくれた人、本当にありがとうございます。
これからも、一生懸命書いていきますので、楽しみにしていてください!
追記
皆様、ありがとうございます。言葉が出ません。
追記2
ありがとうございます。これは全てみなさんの応援のおかげです!!!
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。
図々しいお願いなのですが、本日からサポート機能に「クリエイターおすすめ機能」がつき、オススメがつくと編集部のおすすめの選考に考慮されるようになったそうです。
もし、「この記事の存在を運営に知って欲しいなぁ」と思って頂けたら、おすすめ頂けたら嬉しいですが、お金がかかるこのなので、もちろん大丈夫です!!
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