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引っ越そう、と思ったキッカケを記録する

2024年下半期に入って、ライオンズゲートが開いたとかなんとか言われている時に、我が家に「引っ越し」の話題が降って湧いた。

家族構成


我が家は現在、4歳息子と私、夫の3人家族だ。
息子が生まれたときは正にコロナ禍に入ったばかりで、病院で「緊急事態宣言」の発令を聞いたのが印象的だったので、まさに新型コロナと共に生きてきた息子である。それもあり、産後は私の実家で4年過ごしていた。

実家暮らし

その間に本当にいろんなことがあった。家のリフォームもしたし、私も夫も息子を保育園に入れ、慣れない育児をしながらあくせく働いた。
父は、乳児のいる生活にとまどいつつも、孫が常に一緒にいてくれる生活を喜んでいるようにも思う。

母は息子が1歳半になると脳に小さな腫瘍がある事が見つかり、そこからずっと伏せがちだ。

認知症の祖母


もう一人80代後半の祖母がいたが、息子が生まれたときにははっきりしていた意識が、コロナ禍で認知症が一気に進んだ。

息子がもうすぐに2歳になる、という時に母の脳腫瘍を切除するために大学病院へ通うことになり、一時的に祖母をデイサービスにいれることになったが、この手続きを母はまるで何もやらずに、大学病院へ入院した。

2歳の子供の世話をしながら、ケアマネージャーと毎日電話し、帰宅したらごはんを作る生活は本当に毎日が地獄だった。結局、休まず頑張って保育園に通う息子と反対に、祖母は10日もしないうちにデイサービス通いを放棄した。

コロナ禍だったが、唯一叔母が家事を手伝いにきてくれた。これは助けられた。身に周りの掃除、洗濯をしてもらえるだけでありがたかった。

近隣の叔母もケアマネージャーとの面談にも付き添ってもらえた。何もわからない私が「助けてほしい」と頼み、快く引き受けてくれた。

入院中の母は、本当に何もしないで、なんのアドバイスも助言もしなかった。手探りで過ごした。今振り返っても目が回るほど忙しく、地獄だった。

そういう経験を経て、2年ほど経ち。息子は4歳になり、意思疎通ができるようになった。

4歳になった息子との現在の暮らし

退院して母は、仕事を辞めてもらい、自宅にずっといて祖母の身の回りの世話や料理をお願いした。買い出しが無理ならとミールキットもこまめに頼んだ。

ここにきて、母が「自分が3食作るのはおかしい。母親なんだから、自分の息子のごはんを愛情込めて手作りしたらどうか」と言い始めた。
時代錯誤な発言だ。毎日ギリギリで平日働き、ようやく落ち着いてきた矢先の話である。そして、この発言は、夫にとって溝を作ることになり、そして「この同居にメリットはない」と決断させた。

夫は我慢していたと思う。

息子が4歳になったことで、祖母のいる暮らしに不便さを感じるようになったのは事実だ。風呂は不衛生になるし、わんぱくでなんでも興味を持つ息子に不潔な祖母は異様にうつると思う。

私が一生懸命つないだケアマネージャーとの縁は、母が一方的に断ち切ってしまった。そのため、自宅の環境は悪化する一方だ。
環境が改善しないことで、将来の見通しが立たないことに不安を抱くのは当然だ。
奇跡的に祖母の認知症が改善することはないし、どこからともなくスーパーマンが表れてこの状況を打開してくれることはありえない。

私も夫もスーパーマンではないし、最優先なのは息子で、両親ではない。

結局、あくせく働く日々の中で、唯一台所があく早朝、私と夫が息子の朝ごはんを作ることにした。「母親だから作れ」という言葉に、夫はものすごく嫌悪感を抱いている。だから、一緒に台所に立つことにした。

ここまでが、現時点での状況である。
いずれ、自分たちがローンを払い続けていて、新しいエアコンに買い替えたばかりの実家から、脱出する日がくるだろう。