逃げちゃダメじゃないよ(逃げる哲学)
今日は「逃げることの大切さ」について考えてみます。今日伝えたいことは、「逃げることは決して恥ずかしいものではないんだよ」ということ。
それを伝えるのに何か題材がないかなと考えてたとき、ある新聞記事を思い浮かべました。そちらの記憶を思い出しながら今日は執筆してみます。
去年の8月末に某新聞にて掲載された「学ぶ育む」というトピック内に「STOP自殺」という記事が掲載されていた。
個人的な今でも忘れられないくらいに記憶に残っている。その記憶を風化させないためにも、今一度記憶を呼び起こしながら、記事として執筆しておく。
この連載は、若者の自殺が増える傾向にある夏休み明けを前に、著名人たちが、辛い思いをしている若い人へメッセージを送る、というものである。
若者にとって、憧れの芸能人の言葉は非常に励みとなる。そのため、とても素敵な企画だと思った。
私自身も学生時代、いじめに苦しんだ過去がありましたので、初めて記事を読みながらうるうるしちゃったのを覚えています。
中でもお笑い芸人、ゴルゴ松本さんの「兆」という字の話が印象的でした。
学校などでいじられるというの「兆し」の中にいて、辛い思いをしているとき、そこに"しんにょう(進む)"を付け加えて「逃」にすればいい。逃げればいい!
この連載で、僕がいいなと思ったのは、多くの著名人が「逃げること」を伝えていたことです。
本来、学校では逃げ方を教わりません。これはあくまで主観ですが、「学校はチャレンジしなさい」と言うことが多い場所だと思うからです。学校において、「逃げて!」というのは、「タバコやお酒」暗い?と思いましたが、どちらかというと「辞めて!」という感じで違うのかもしれない。
学校の先生たちは「いじめはよくない」と加害者に諭しますが、だいたいいじめっ子は賢いのでそのことは十分理解しています。その上でやっています。
学校の先生たちは「いじめられていたら、先生に相談してね」とみんなに言いますが、被害者の子は賢いので「先生に相談したときと、しなかったときの被害のリスクを天秤で測った上で、相談しないことを選びがちです」
厳密にいうと、相談したことで、先生が加害者を注意するけども、そのあと裏で加害者側に倍返しされるのではないかと怯える必要があり、それなら相談しない…という選択をとります。
そこで、「逃げる」という選択肢を教えることも必要だと思います。ちょっと熱くなってきたのでこれ以上書くことはやめますが、なぜ逃げる選択肢が必要で、どのようにしたら逃げ方を教えてれるかの僕なりの考えはまた別の機会で話すかもしれません。
とりあえず、記事の話題に戻すと、
いじめという話題において、誰の言葉を信じるか、信じないかは自由です。しかし、「逃げてもいいんだよ」「逃げたから今自由にやれているんだよ」という言葉がどれほど救われるものか。
いじめはよくないもの。コロナもよくないもの。
でも、完全にゼロにすることは不可能です。
そうなるとすると、どのように共存するのか?の道について十分考え、幾つかの選択肢を用意しておくべきです。
「逃げることって決して恥ずかしいことじゃないよ」このことがもっと伝わってほしいものです。
(終わり)