鬼を超えたヒト

「競技である閾値を突破するには、人格者でなければならない」
これはこれまで生きてきたなかで、鬼の領域すら乗り越えたヒトを何回か見てきた。
一人ではつよくなれない。優秀な対局者、優秀な情報が集まるには人としても優れていなければならない。
多分、これはあっているんじゃないかな。

翻って自分を見るに。
1つの人格は、多々ひたすらに強さだけを求める自分。
昔は世界すべてを強さだけで測っていたが、
最近は自分自身のことだけを強さで評価している。
闘うことだけが自分を表現する手段で
勝つことだけがここにいる実感を得る手段。
対戦相手がいくら研鑽を積んだ人であろうと、
その軌跡にリスペクトを払いつつも、
穿つことでしかここにいられない存在。
エンジョイ勢と言われると、彼が激昂している。

もうひとりは好奇心のかたまり。
いろんなことを知って、広めたくて、そして役に立ちたくて。
昔、アーケードで、初心者狩りをやりまくってゲームコミュニティを衰退させた罪悪感から生まれたのだろうか。
うん十年後、「インストの神」「伝説を継ぐもの」と呼ばれたがっている。

彼ら(俺ら)は、人格者となって、ある閾値を超えてエースと呼ばれるようになるだろうか。
自分は足りてないという気持ちだけはある。
対局前の挨拶、コンポーネントはきれいに並べる、そっからね。

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