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ばぁちゃん、ありがとう

大晦日にふさわしい内容かはわかりませんが、2020年の区切りとしてここに記したいと思います。


10月25日に、姑が息を引き取りました。

10月15日に退院し、そのまま老人ホームに入所してから、たった10日後のことでした。

肺炎も起こし、ゼリー食の摂取も拒み気味だったので、「長くはないかも」と覚悟もしていたけれど、「容態が落ち着いてきた」と連絡があり安心していた矢先…


24日の深夜25時頃、主人の携帯電話が鳴りました。
まだ主人も私も起きていて、私も、危篤の連絡と予想をしたら、
「心肺停止している」と。

パニックになりそうなのを必死に抑え、隣に住む義理の妹と3人で施設に向かいました。

いつもは運転に慎重な主人が、車のフロントガラスの霜をとらぬままスタート。「危ないから、一旦停めて」と妹に言われても、停まらず強引にワイパーを動かして進む姿から狼狽ぶりが伝わってきました。


そして、到着。
まだ温かいけれど、もう決して目をさまさない母親を前に、主人と義妹は泣き崩れました。

「独りで逝かせてしまった。
 間に合わなかった。
 最期まで聴こえているというから、
 傍で声掛けして見送ってあげたかった。」
との彼女の言葉を聞きながら、私は違った想いを抱いてました。


歩くことは勿論、椅子に座って起きているだけでも辛さを年々訴えていた姑。
寝ているときですら、呼吸が荒く苦しそうだった姿が焼き付いている私には、今までで一番穏やかで安らかな寝顔に
「最期の最期は、苦しまず、眠りながら旅立てて本当に良かったね」と感じたんです。


姑本人に聞かなければ、本当に安らかな最期だったのかも、どんな想いだったのかもわからないけれども、私にはそう思えました。

「心停止」の電話をうけた時にはショックだったし、行きの車中では「せめて危ないの連絡であったら、間に合ったかもしれないのに」とも思っていたけれど、この数年見たこともないような柔らかな表情を見た時にその思いは消えました。

もし危篤の連絡をもらったとしたら、死の間際に姑は苦しみに晒されてしまうということだから、そうではなく「眠ったまま静かに」逝けて本当に良かったなぁって。


でも、「もし私の手術で姑の退院が延期にならなかったら、当初の予定どおり家に帰れて、肺炎にもならずにまだ生きられたのかなぁ」との後悔が無い訳ではないんですが。

以前の私ならその後悔に引き摺られ、自己否定モードまっしぐらになってしまうパターンだけれど、今回は、あの安らかな表情のお陰で踏みとどまれた気がします。


亡くなってから2ヶ月がすぎたものの、長年の介護や同居による緊張状態からの解放感(というと不謹慎か)、ポッカリ感が抜けずにいる今日この頃。


noteにも書きたい気持ちと書きたいことがまとまらない脳ミソがせめぎあって、大晦日まできてしまいました。


思えば、前回までは姑のオムツ介護への不安や、施設入所への罪悪感などを昇華させ、前向きに捉え直し自分に上書きするために、このnoteに書いていた気がします。

だから、姑がいなくなってしまって、最大のモチベーションが無くなってしまったから書けずにいたし、今日こうして書いていてもトッチラカッタ着地点の見えない文章になってしまっていて…

なら書くな!
なんですが、なんだかどうしても書きたいんです。

正直、「気楽になっちゃいました。」
これまで「ばぁちゃんに悪いから」と、殆ど行けなかった「家族での夜の外食」も行けるようになりました。
コロナが落ち着いたら、今までで諦めてきた「家族旅行」も行くつもりです。

でも、ばあちゃんが辛くてもがんばって長生きしてくれたから、私は沢山の経験を積んで、物事の捉え方や人との関わり方も成長させることができたなあって、それは本当に本当に感じてます。

宗教絡みのことでは受け入れがたい衝突や反発もあったけれど、そのことで決定的な決裂に向かわずに折り合いをつけ、共に暮らせました。


自分の両親や舅にはできなかった看病や恩返しも、不充分ながらもさせてもらえました。

姑が同居していたお陰で、私の娘に対するヒステリックな言動もかなり抑制されてもいたし、姑は娘に対し常に肯定的な言葉がけをしてくれてました。


主人との関係も姑のことに向き合うなかで深まったり、主人も私に対して感謝してくれていたと思います。


毎晩、自分の食器をキッチンまで運んできては、「今日もありがとう。みんなやってもらって悪いねぇ。」と、必ず感謝を口にしてくれた姑。
私が「そんなのやって当たり前なんだから、言わなくっていいんだよ」と言っても、入院する前夜まで欠かさず言い続けてくれました。


ばあちゃん、辛かったのにがんばって生き抜いてくれてありがとう。


一緒に暮らせた9年間で、修行もさせてもらったし、色々な気づきももらいました。家族のつながりも深めてもらいました。


そして毎日ありがとうを言い続けてくれてありがとう。


なかなか続けられることではないけれど、私も身近な人への感謝を大切にしていきます。あなたのように。

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