シール交換

インスタを開いて最初に見たストーリーがとてもカラフルで可愛いシールいっぱいの背景に「シール交換しよ✌🏻💞」だった。
平成に女児として沢山のかわいいを生み出してきた人なら誰もが懐かしく思うだろう。
しかし私はこのストーリーにとんでもない憤りを感じた。その訳をここに綴ってく。

まずそのシールストーリーを載せたのは同い年の大学3年生の友達だ。ストーリーにはキャラクターの可愛いぷくぷくシールが沢山。あのとき欲しかった、集めたかったシールが夢のように詰まっていた。

実に面白くない。

これじゃあの時輝いていたシール交換の意義が一つもなされていないのだ。

シール交換とは、お互いの手持ちのシールを同レートで友達と交換する文化。
なぜ交換するか?
それは小学生は沢山沢山頑張ってお母さんの機嫌を取って、やっと手に入れられるのがたった1つシールセットだからだ。
それらの中で特にお気に入りじゃない、でも友達が欲しいと言うようなシールと友達が持ってる全く別の種類のシールを交渉に交渉を重ねてやっと手に入れ、自分だけのオリジナルのシール帳を手に入れるのが醍醐味なのだ

それなのにバイト代で好き放題買ったシール。
そんなのおっきなぷくぷくでも全然名残惜しく渡さないだろう。
そもそもの交換できるシールの母数が大きすぎるだろう。

シールはそうやって手に入れるんじゃない。
シールはおうちで沢山お手伝いをして、学校で良い点を取ってきて、予防接種を頑張ったり、お母さんのお買い物についてきておねだりをする。
このときやっと「1枚だけだよ」という許しを得て沢山あるシールから自分だけのお気に入りの1シートを手に入れるのだ。

だから手放すのが名残惜しい。
でも友達が持ってるのは自分が最後まで悩んだ末に買わなかったシール。
お互いにそれをくれるならこれを譲れる、そんな駆け引きが楽しくてきらきら輝いてたのになあ。

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