機械技術研究所 東村山分室時代
東村山分室(1980年2月~1979年4月)
1ヶ月の食客(いそうろう)
機械技術研究所に就職が決まると、母が「東京に、私が色々お世話した女性が住んでいる。そこに泊めてもらいなさい」と言いだし、従うことにした。
スーツケース1個に荷物を詰め込んで上京した。
その人の家は「姉ヶ崎」駅から自転車で坂を登ったところにあった。旦那さんと二人暮らしで一軒家に住んでいた。旦那さんは浜松町のランドマークタワーに勤めていて、朝が早い。
私の職場は「東村山」だ。
姉ヶ崎まで自転車で10分、姉ヶ崎から千葉経由で東京まで1時間30分、東京から新宿まで20分、西武新宿から東村山まで1時間。東村山から職場まで徒歩10分。乗り換え時間を抜きにしても3時間以上かかる!
幸い労働組合との取り決めで出勤は午前10時に間に合えばいい。それでも5時すぎには起床しないと間に合わない。
午後5時に研究所を出ても帰宅は午後9時。旦那さんも帰宅が遅いので夕食は同じになるが、やはりきつい。
駅の自転車置き場のおじさんが「あんた、あの家のおばさんとどんな関係?」と、にやにやしながら聞いてきたので、引越を決意した。
後に、母に「もっといてもらっても良かったのに息子さんは1ヶ月で出て行った」と手紙が届いたそうだ。
田無に下宿
研究所では「すぐにつくばに移転するので事務の新卒は公務員宿舎にはいってもらったが、(給料の高い)研究職は、自分で下宿を探してもらっている」と言われた。
東村山の方が家賃は安かったが、機械技術研究所本部のある田無市で下宿を探した。新宿近くにして都会の気分を味わいたかった月額4万円だが、敷金2ヶ月、礼金2ヶ月を支払う。ちなみに公務員宿舎は月額2000円で、敷金礼金なしだ。
神戸大学勤務?
田無の下宿に落ち着くと、週末は神戸大学の研究室に顔を出した。
午前6時に下宿を出発すると、午前10時に羽田研究室に着く。
研究室にはまだ誰もいない。
ぽつりぽつりとやってくる後輩が「あれっ、矢野先輩、どうしてここにいるんですか?」と驚く。
毎週末に顔を出していたら羽根田教授に叱られた
「矢野君、本当に仕事してるのか!そろそろ親離れしろよ」
帰省
和歌山の実家に帰ったら,母にいろいろ質問された
母:給料いくら?
私:名目13万円
母:本俸13万なら、手当込みで40万ぐらいやな〔納得顔〕
母:飛行機も新幹線もタダだから、ちょくちょく帰っておいで
私:(心の声;いえ、父親と生きる時代が違いますから)
母:あなた、いい人いるの?
私:いや、おつきあいしている人はいないよ
母:お茶屋さんの娘さん、いい子なんだけどね。まだ18歳なのよね。
母の作戦を匂わせてきた。
居室
配属された「運動機構課」は、矢田課長、野崎さん、西郷さん、二瓶さん、あと年配の方が3人在籍していた。居室に行くと私のスペースがない。課長が「ああ、そうだったな」と言って、どこからか机、椅子、袖机、パーテイションを持って来て、私のスペースを作ってくれた。
翌日から人事院研修、工技院研修と泊まり込みの研修が続き、その後1ヶ月は居室に顔を出すことはなかった
給料
給料は民間の半分と言われていた。修士卒で3級5号俸で名目13万円。毎月18日に支払われる。民間から事務職になった職員は給料日に、「月半ばに半額が支給されるのだな」と納得し、翌月頭に「あのう、残りの半分はいつ支払われるのですか?」と聞いた(直接本人から聞いた実話)。
研究所所長連合会で給料の「同窓生相場」を聞き取り調査したことがあった。東京大学同窓生に聞き取り調査して結果、初任給で2倍、入社後10年で3倍に差が広がっていたという。所長連が人事院と掛け合ったが相手にされず、「君たちは学歴の浪費だ」と言って自虐的に笑っていた。
学生時代、先輩に「学生時代は、金はないがヒマがある。社会人になると、金はあるが暇がない。したがって、学生時代に貯金してもしようがない。学生時代は金を使って大いに遊べ」と言われていたわたしは愕然とした。
「この職場は、学生時代の延長だ!」
4月と5月は本俸に「研修手当」が本俸と同額ほどつき、6月には本俸2ヶ月分のボーナスが出た。苦しくなるのは7月からだった。
学生時代は寮費ほぼタダ、一切の天引きなしで「月12万円~16万円」の手取収入があったのだから
積立金の給与天引き
研修の合間に出勤して誓約書など初期の手続き書類を作成していると年配のおばさんがやってきた
おばさん:やのくんは? ああ、きみね
私はてっきり研究所の事務職員だと思った。
おばさん:きみ、積み立てはじめようね。きみの場合は4万円コースかな。将来に備えて契約しなさい。積み立てると毎月ボーリング大会とかダンスパーティとか無料で参加できるよ。(契約書を差し出す)
私はよくわからないまま契約した。保険の勧誘員のおばちゃんだった。
所内で出会った時に文句を言ったが、解約すると1年以内なら違約金を払わないといけないという。
おばちゃん:サークルの会費と思えばいいのよ。無料の催し物がいっぱいあって楽しいわよ
そのあとに、正職員がやってきた。積立貯金の案内だという。いろいろ資料を持って来ていたが、運用益の一番高いのは証券会社の投資信託だという。
すでに月々4万円の天引きが確定していた私は月々1万円で山一証券の投資信託を契約した。両方同時に来ていたら、おそらく貯金4万円、保険1万円で契約しただろう。
英会話セット
見知らぬ若い女性から職場に電話がかかってきた。「今年入所したエリートのあなたに会って重要な話をしたい」という。新宿の指定された喫茶店で会うことにした。
英会話教材の勧誘だった。英語の百科事典と英会話カセット48巻、それらを収めるガラス戸付き収納ケース、さらに英会話教室の無料受講券2年分が付いて80万円!
普通の英会話教材は、TOEIC650点止まりだが、本教材はそのあとも英語力がぐんぐん伸びてTOEIC900点は取れるようになるという。
あなたのようなエリートにこそふさわしい。あなたのようなエリートは、TOEIC900点以上の英語力がないと将来困る場面が続出しますよ
4年の分割払いで、1日コーヒー1杯の支払いです。毎日コーヒー飲むと思えば安い投資ですよ。
契約した。すぐにつくばに引っ越したので、英会話教室のチケットは1枚も使わなかった。もちろん教材は壁の飾りになった。
婚活サークル
あなたのような選ばれたエリートだけが加入できる婚活サークルの勧誘員に喫茶店に誘われた。男性は医者や実業家、あなたのようなエリート公務員だけしか会員になれないという。女性は良家の子女だけだそうだ。
パンフレットにはモデルと見まがう女性の写真がずらりと並ぶ。
経歴書を書き始める。女性に求める項目の欄には、好みの顔の形、趣味、あとしてほしい家事が延々と続く。
相手に求める学歴で「中卒以上」に印を入れると、驚いたようで「ホントに中卒でもいいんですか?」と聞いてくる。
当時の私は、若くて可愛ければ、あとはどうでも良かったのだ。
書類を一通り書いたが、会費が高額だ。
思い直して「やっぱり契約はしません」
すると、「あなたは特別に会費無料で会員登録させてあげられる。婚活しなくてもいいから経歴と写真をパンフレトに掲載させて欲しい」と言われた。
急に冷静になり、丁寧にお断りして帰宅した。
研究所でしたいこと
課長がニコニコして「矢野君は研究所に入って何がしたいの?」と聞いてくる。
羽根田先生に「研究所は働きながら学位が取れるし、1年間海外に行ける」時いていた私は「まず、学位を取りたいです」と言った
課長の表情が急に厳しくなり、「最近の若いもんは、すぐに学位を取りたがる。学位なんてのは取りにいくものではなく、実力がついたら自然とついてくるものだ!私も学位を取ったのは十分に実力を蓄えてからだった」
私はこの時の教えを頑なに守りつづけ、自分から学位を「取りに行く」ことはしなかった。結論から言うと学位取得は退職の前年になった。
研究テーマ
西郷さんが、自分が担当していた大型プロジェクトムーンライト「フライホイール動力車」の実験装置を見せてくれた。モータ2台を組み合わせてフライホイールと自動車本体の速度制御を行う装置なので電気出身の研究者が欲しかったのだそうだ。
私はこの装置を見て「グラフ理論を使って解析したらおもしろそうだ」と思った。
この装置はこのあとすぐに分解され、つくば移転の荷物として梱包された。
新入職員
新入職員は博士2名、修士3名、学卒3名と、事務の高卒女性3名。
つくば移転に伴って多数の正職員が早期退職したので定員に空きができたらしい。
所長が現れた。
「今年は、変わり者を採ろうということで、全員東大生ではない人選を行った」通常は東大生が過半数を占めるそうだ。
実は博士の2名は、東大紛争で東大の新入生がいない年にあたり、浪人か減益か迷ったあげくに現役を優先したので優秀だ。例年は推薦入所なのだが、「採用内定だが、公務員の人気が高いので一応公務員試験を受験してくれ」と頼まれて受験し、2人とも見事に一発合格している。
事務職の女性3名も、久しぶりの採用だという。
つくばの土地ブーム
つくば市移転に絡み、不動産屋がつくばの土地を販売していた。ほとんどの職員が土地を購入し、二瓶さんも購入していた。
「矢野君も購入したほうが絶対にいい」といわれ、公務員共済組合に土地購入資金の融資を申請した。返答は「勤務が1年以上の職員にしか融資できません」結局購入できなかった。
後日知った事だが、ほとんどの職員は研究所から離れた不便な土地を高値づかみしていた。1人、現地の十分な視察とつくばの将来図を念入りに調査し、現地の不動産屋で、東村山に出入りしていた不動産屋の半額で研究所から徒歩圏内の一等地を購入した職員がいた。
労力を厭わない努力は重要だ
夏祭り
二瓶さんに誘われて、夏祭りに行った。狭い路地の両側に店舗が多数並んでいる。
見世物小屋があった。看板に「世にも不思議な人間」とある。
小窓から小屋の中が見える。小窓の真っ正面に上半身裸の若い女性が背中を向けて立っている。小屋に入ると正面から観賞できるというしくみだ
わたし:おもしろそうだから入ってみよう
二瓶さん:いやだよ。だって、皆無視していて、誰も正面から観賞していないよ
「逃げれば一つ、進めば二つ」主義の私:入らないとモヤモヤして終わる。1000円だしだまされてもいいから入ろう
結局ひとり1000円を払って入った。
背中を向けて立っていたのは老婆だった。会場には一応ヘビ女とかろくろ首とかがいたが、客寄せはあの「背中美女」だったようだ。
小腹が空いたのでテントで急ごしらえのめし屋に入った。
二瓶さんと私は「ソース焼きそば」を注文した。
二瓶さん:会計は?
店子:ひとり6000円です
ふたり:えっ
後ろで、カップルが楽しそうに「ステーキ」を食べ、ビールで乾杯していた。我々が店を出る時に聞こえてきた
男:お会計を
店子:3万6千円です
男:えっ
東京の祭り、こわい
自動車試走路
東村山分室には自動車の試走路がある。陸上競技場のように広大な敷地で、外周路に勾配がついていて、時速100kmで、ハンドルを手から離しても外周をぐるぐる回ることができる。二瓶さんが「体験させてあげる」と言って乗用車に乗せてくれた。
平地を走り、徐々に加速していく。途中から傾いた外周路に入っていく。視界に映る景色が斜めを向いていく。
二瓶さんはハンドルから手を離している。速度に応じた傾きのところで車は車の座標系で直進、外界のワールド座標系で弧を描くという不思議な軌道を走る。二瓶さんがアクセルを踏み、車が加速する。
時速100km。車は横倒しになり、平面の道路が真横に見える。あいかわらず二瓶さんはハンドルから手を離している。
頭で考えるのと実体験は別物だ。なかなかできない体験をさせてもらった。
二瓶さんの話では、スピードを出しすぎて外周路壁面の最上段をタイヤが乗り越えて車が止まった強者がいたそうだ。
ちなみに、外周路壁面の最上段は、傾斜が垂直で、人が歩いて登ることは物理的に無理だ。わたしも挑戦したが中断あたりまでしか登れなかった。
秘書
研究室の秘書は年配の女性アルバイトだった。東村山分室の職場は秘書を含めて年配の女性ばかり。どうして年配の女性ばかりなのか聞くと、以前色恋沙汰があったのだという。
アルバイトの女の子に振られた男子学生が「死んでやる」と叫んで研究所を飛び出し、多摩湖の方に向かったので、研究所の職員総動員で捜索した事件があり、それ以降若い子は雇用しなくなったという。
アルバイトの子に非はないのに理不尽だ
つくば移転作業
くる日もくる日も移転の準備作業の段ボール詰めで忙しかった。
3回ほど、つくばの研究所建築現場を見学に行ったが、基礎工事ばかりでなかなか上物ができてこなかった。
世間では「地下に秘密基地を作っている」「10kmにわたる直進道路は秘密飛行体用滑走路」などの噂が飛んだ。
10月ごろに建物が完成し、先発隊の引越が始まった。東村山分室は最後だった。
おわりに
学生時代、就職したら終わりだから目一杯人生を楽しもうと思い、8年間いろいろなことをしてきた。
まさか学生時代の延長がずっと続くとは思わなかった。
よっぽど嬉しかったのだろうのだろう。児童文化研究会の後輩に
「やのさん、年賀状見て、ぼくすごく腹立ちましたよ」といわれた
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