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アマデウス

短命の天才モーツアルトの生涯を、モーツアルトの華麗な楽曲をバックに宮廷音楽家サリエリの視点から描いた作品。本作品で、サリエリは皇帝に重用される天才モーツアルトの評価者として存在する。サリエリは、モーツアルトの奔放な生き様をねたみ、神を呪う存在として描かれる。しかし、モーツアルトの才能を一番よく理解しているのもサリエリであり、そのことがサリエルを悩ませる。映画はモーツアルトの死後、民衆に忘れられていくサリエルの楽曲と民衆に広まっていくモーツアルトの楽曲の対比から始まる。
数々の名曲が名場面とともに心に染みる。

https://novel.onl/amadeus/

はじめに

「アマデウス」が「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」の名前だと知らず、ポスターの絵柄が「なんだかすごそう」だったので映画館に足を運んだ。

映画ポスター

アマデウス

映画では、「モーツアルト」はまさしく天才として描かれる。
ピアノ演奏の練習など、努力している様子は全く描かれていない。
楽曲は次々と頭の中に湧いてきて、譜面に書き下ろすときはすでに完成している。

4時間のオペラが「長すぎる」と進言しても、「これで完璧なんだ。どこを削ってもダメになる」と譲らない。

でも、民衆が高く評価してるとは限らず、お金に無頓着で宴会三昧の生活は、モーツアルト一家に金欠という大問題を生じさせる。

モーツアルトの偉大さを肌身で感じているのは「サリエリ」であるが、サリエリは彼の高い評価を決して公言したりはしない。

かくしてモーツアルトは場末の劇場のために「ドン・ジョバンニ」などの通俗的な戯曲を提供したりもする。

そのようなモーツアルトの境遇につけいり、サリエリは「モーツアルトの才能の評価者」としての役割しか自分に与えなかった神を呪い、身分を隠してモーツアルトにモーツアルト自身の「鎮魂歌」を依頼するのだった。

おわりに

天才を、その天才とともに同じ時代を過ごした一人の人間の視点から描く作品は珍しいのではないだろうか。
オーケストラの生演奏で映画が上映されたらしい。
鑑賞はかなわなかったが、鑑賞していれば、きっと至福の時間が過ごせただろう

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