見出し画像

中学生時代(2022年11月10日更新)

中学校(1968年3月~1965年4月)

和歌山大学学芸学部附属中学校(陸上部)
A,B,Cの3クラスに増えた。1クラスは中学編入試験合格者。

3年生

担任の先生から、灘高か大阪教育大学附属高校天王寺校舎を受験するように薦められた。灘高は男子校かつ丸刈りだからパス。大教大附高を選択した。灘高と附高それぞれ7人ずつ受験した。

試験問題は難問揃い。
英語:中学で習わない"wet"が頻繁に出てきて、”wet”の意味を問う問題があった。知らない単語なのであせったが、推測が当たっていたようだ。
数学:5問中1問が解けずに白紙提出となった。それまでケアレスミス以外で減点されたことがない私には、一問丸々白紙の答案は大ショックだった。
帰宅するなり「数学が解けなかった。絶対に落ちた」と大泣きした。

修学旅行

修学旅行は東京4泊5日だった。
「修学旅行のしおり」を1ヶ月かけて作成する。
まずはじめに1クラスをさらに6人ぐらいの班に分け、各班が東京について調査する。調査した内容をテーマ毎に細分化し、ふたたび内容をまとめて「しおり」を作る
すごく分厚い「修学旅行のしおり」が配られた。
東京での行動は班ごとに自由だった。
東京タワーでおみやげをたくさん買ったのを覚えている。

長距離走

冬になると毎朝授業前に5km走る。中学のグラウンドから金網をくぐって大学のグラウンドに入り、1周したあと中学のグラウンドに戻る。これを3周繰り返すと5kmになる。私はいつも1番だった。
本番当日、学友の2人組が来て、1人が「金を払うからこいつに一着を譲れ」と言う。私は拒否したが、結果、彼は2着でも何でもなく、私が譲っても1着にはなれていなかったはずだ。
中学生で買収行為は驚きだ

ショートショート

星新一のショートショートに感化されて、400字詰め原稿用紙数枚のSFショートショートを数十編書いて学校に持って来た。なぜか異様な人気で、女子がまわりに集まってきて次々と回し読みをはじめて、モテモテ状態になった。

日本文学全集

旺文社から文庫本より少し大きめの「日本文学全集」が出版された。
旺文社信者になっていたわたしは全巻揃えて読んだ。
岩波文庫と比較すると字は大きく、とても読みやすかった。

2年生

数学

教生先生が数直線の授業で、「じつは大小が決められない数字があって、それはここら辺にある」と言って、数直線の上部をチョークでトントンとたたいた。
私は俄然興味を持ち、いろいろな数字を考えた。2組の数字にすれば良いことはなんとなくわかる。足し算はできるが掛け算が難しい。
二乗すると「-1」になる数や、二乗すると「0」になる単位元がそれぞれ無数に存在し、掛け算が回転や伸縮、さらには並行移動になる数学の海が広がっていることなど、当時の私には知るよしもなかった。

パズル

パズルが好きでペントミノパズルを教室に持ち込んで友人と遊んでいたら、友人がカチャカチャやっている時に先生に見つかり、没収された。下校時に職員室に友人が呼ばれて返却してもらった。
友人曰く「矢野が持って来たと言っても先生信じなかった。矢野君はおもちゃを学校に持ち込むような生徒じゃありません、人に責任をなすりつけるんじゃありませんっていわれた」
もう一人の友人と3人で顔を見合わせ苦笑いした。真面目に見られるのは得なのか損なのかわからないが、そのあとも時々似たようなことがあった。

ペントミノパズルは、なれると結構簡単にはまる。続いてオクトミノパズルが発売になった。注意書きを読むと、「へそ」があると何十億通りの解があるが、「へそ」がないと、一つも解がない。これが「へそ」のある理由だと書いてある。「数学の○○論により証明」という注意書きがあった。
私はパズルの箱を市松模様に塗り分け、ピースも白黒交互に塗った。そしたら何のことはない、どう塗り分けてもピースの白と黒の数が2異なるので、「へそ」がないとムリだと気づいた。小学生でもわかるレベルのことを権威付けて書いていただけだったのだ。
その後、このパズルシリーズは発売されたもの全てを購入した。
三角形をつないだもの、立体で3x4x5の直方体に納めるものがあった。
付属の紙に書かれた図形も全て作ってみた。
3x4x5の直方体を、1x3x5の直方体と3x3x5の直方体に分離した状態で組み上げた時はちょっと感動した。今でもこの形で玄関に飾っている。
知恵の輪や、タングラムにもハマった。タングラムは結構難しい影があり、延々と考え続けた。

催眠術

催眠術の本を読んだ時は、さっそくクラスメイトに試した。「目をつぶって下さい。私が、いち、にい、さんと数えて、手をたたくと両手が自然と浮き上がります。はい、いち、にい、さん(ぱんっ)」すると、男女関係なく、みな手が上がってくる。友人には「さあ、走る。だんだん速くなる。もっと速くなる」と言うと、目をつぶったまま、すのこ敷きの外廊下を走り出した。
クラスの全員に乗せられたのか、本当に催眠術が効いたのかは、今になっては謎である

1年生

小学校の繰り返し

授業は、数学と英語以外は小学校の内容の繰り返しで、それに細部の肉付けが付く内容だった。テストは主に小学校の教科書に記載していた内容(ページ下の備考欄や発展内容欄を含む)が出た。私は中学で習った新しいところを勉強してテストに臨んだが、テストにはあまり出なかった。しかし、この時にしっかり勉強した内容は高校のテストで役に立った。

新教科「英語」

新たに「英語」が始まった。アルファベットの書き方から始まって、すこしずつ複雑な文章になっていくのだが、「基礎英語」を4年も繰り返してきた私には退屈だった。
油断した。英単語のように「特に意味がなく、丸暗記する」ものは、大の苦手なのだ。加えて、英文法は、数学の定理のように、無理矢理意味づけしようとする。今考えると「慣用句」は、理屈抜きで丸暗記するしかないのだが、それが苦手だった。
英語の先生の指導もひどかった。たとえば「θ」は、舌を目一杯突き出し、歯で挟むように教わった。言われたとおりにして「スー」と発音するとほめられる。
教科書の音読は、先生の音読を復唱する。今振り返ると、ネイティブの抑揚や発音にはほど遠く、抑揚なく、かつ、とても日本語っぽい発音だった。

小学○年生から中○コース

学年雑誌が「小学○年生」から「中○コース」になった。
私にとっては大判の「小学○年生」と比較して、半分の大きさで付録もなくなり、文字が増えた「中○コース」は、すごくつまらなかった。

サウンドオブミュージック

映画「サウンド・オブ・ミュージック」を観賞しに学年全員が映画館に出かけた。映画は4時間近い大作だったが、皆静かに観ていた。

クラスで「ドレミの歌」を毎昼休みに合唱することになり、担任の先生に、模造紙に歌詞を英語で書くように依頼された。
私は「サントラ」レコードを買って、「ドレミの歌」の出だしの会話文から忠実に書き上げた。しかし歌詞以外の部分を活用されることはなかった。

あとがき

中学生時代はあっという間に過ぎたような気がする
中学校から編入してきた中西君や藤岡君は優秀で、成績を競い合うようになった。数学が得意科目なのがはっきりしてきた時期だった。
ませた子は「おつきあい」はじめたりしていたが、一人っ子の私は女の子とは何を話していいかわからず、苦手なままだった。

謝辞

家族にはほんと感謝している。
特に妻は、常識のない私を手取り足取り指導してくれて、社会に溶け込む手助けをしてくれた。まだまだ人の心は読めないが、頼りになる相棒である。


本noteは私の備忘録ですが、自由に読んでください サポートは、興味を持ったnote投稿の購読に使用させていただきます