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公務員試験(1979年3月~1977年4月)

就職氷河期

1973年に第一次オイルショックがあり、就職戦線は「売り手市場」から「買い手市場」に激変した。
前年までは、企業からの「学生が欲しい」の声に応じるだけで良く、黙っていても全員就職できていたので、就職担当の先生は対応できていなかった。
「日本航空」などの求人がなくなり、学生側は「希望ランク」を1段階下げていた。

ほとんどが「可」の私は厳しい状況に置かれていたにもかかわらず、のんびり構えていた。

9月ごろ、就職担当の教授から「建築設計会社の試験を受けてみないか」と声がかかった。久しぶりに大卒電気を採用したいという。

採用試験を受けた、面接で「試験の出来はどうでした?」と聞かれたので、全問正解の自信があった私は「ちゃんとできました」と答えた。
この時、面接官全員の顔色が変わった気がした。

12月ごろ、再試験を行うというので、試験を受けたら前回と同じ問題だったので、前回と同じ答えを書いた。

2月ごろ「不採用」の通知が来た。

就職担当の先生は「ひどく出来の悪い学生をよこしたと先方が怒っていた」と羽根田先生に言ったらしい。
羽根田先生は、「矢野君は優秀な生徒だ」と弁護してくれたそうだ。

一方で、「建築関係の電気問題集などで下調べしなかった矢野君も悪い」と、叱られた。

建築関係では「周波数50Hzないしは60Hz」の前提で数値を計算するが、私は大学の教科書どおりに「周波数」や「位相角」を記号のままにし、過渡解析も加えて抽象的な式で回答していた。
現場で即座に使える数値ではなく、審査官には理解不能だったのだ。

後日談だが、公務員試験に合格したことで、羽根田先生は就職担当の先生に「ほらね」と言えたそうだ

受験を誘われる

一次試験

友人から「電総研に入りたいのだが、心細いので一緒に公務員試験を受験してくれ」と誘われた。
興味のないことに無関心な私は「工業技術院」も「電総研」も知らなかった。
友人に言われるままに顔写真を用意した。書類の取り寄せから提出まで全て友人がしてくれた。

この年、オイルショックのせいで公務員に人気が出て、電気の求人40人に応募1600人、倍率40倍である。

一次試験会場は神戸大学教養棟。通い慣れた階段教室。会場には神戸地区の受験生40人。「この中から1名の割合か、こらアカンわ」と思った

二次試験

試験を受験したことも忘れていたが、児童文化研究会の夏の巡回公演合宿に出かける朝、出かけようとすると寮母さんが「矢野さん、はがき来てるよ」とはがきを渡された。

一次試験合格通知だった。
二次試験は、夏の巡回公演合宿の最終公演日と重なっている。キャストで出番がある。私は二次試験をパスするつもりで夏合宿に臨んだ。

二次試験の前日の夜、雑談の流れで、電気工学部の後輩2名に
「実は、あした試験があるんだけど放棄する」とはがきを見せた。

すると、二人揃って口々に
「矢野さん、人生と明日の公演、どちらが大事かわからないんですか」
「われわれでどうにでもできるから、明日一番に試験会場に行くべきです」
と言ってくれた
私は厚意に甘えて翌朝一番の電車で大阪に向かった。
そう、二次試験の会場はなんと「大阪教育大学附属高校天王寺校舎!」
偶然にも、またしても母校なのだ

二次試験会場も40名。神戸会場からは私を含めて4人合格していた。

周りを見ると、皆顔が白い。私は、夏の巡回公演で、中日の休日に1日中海で遊んだため、顔は真っ黒で皮がボロボロはがれる始末。

2時間の記述式問題。1時間で書き上げて手を上げ、
「あのう、もう退席していいですか?」
答案を提出して退席した。

車内の吊り広告にあった「太田裕美コンサート」に間に合わせたかったのだ
コンサートにはギリギリ間に合った

合格通知後

羽根田先生が「矢野君は就職難しいと思ってすごく心配していたんだ」と言って一番喜んでくれた

サークルでは「一体いつ勉強していたんだろう」「サークルと受験を両立させるとは、すごい」など言われていたが、建築設計事務所受験と同じく、全く対策などしていなかったのだ。

人形劇の最終公演日、私の役は演出が務めた。
演出は、朝に私がいないことに気づき、「大阪に向かった」と聞かされ、当然ながら怒り心頭だったそうだ。

修士1年で合格したので、1年寝かして修士2年で官庁巡りをした。
官庁の他、宇宙開発事業団や下水道事業団などから求人パンフレットが送られてきた。

どこが良いか羽根田教授にその時々で相談した

宇宙開発事業団

カッコイイ名前に惹かれて「宇宙開発事業団に就職すると」言うと
「公務員試験に合格してなくてもいけるところだからダメ」

神戸税関

地元大学出身をぜひ採用したいと羽根田教授を訪ねてきた。
最初の2年大蔵省(東京)→神戸税関2年→大蔵省2年→神戸税関(署長)のエリートコースで、若くして大企業の関税部門に就職できるという
理系でないとできない業務が激増しているのだという。
「税関にする」と言ったら
「何のため勉強してきたんや、税関なら4年生で行くべきだろう」

羽根田先生に工業技術院を強く薦められたが、東京でできるだけ多く回ってみることにした

通産省

「きみ、16位だね。うちは3位以内しか取らないよ」
「うちは18歳の若いのが欲しいんだ。君、3泊4日の連続徹夜できる?」
と一蹴された。
面接した部屋は入り口→机→出口が一直線になっていて、面接の間も列をなして人が入ってきて、机の上に名刺を置いて退室する。
通産省、すごいところだ

電子技術総合研究所

羽根田先生に「電総研に行け」と言われて面接した。
面接官:きみ、採用されてもすぐに「つくば」に移転するの知ってる?
わたし:知りませんでした
面接官:ま、「田舎で何にもない」と良くいわれるけれど、大きなパチンコ屋があるし、それなりに暮らせるところだとは思うよ。あ、独身だと厳しいかもしれないね。

さんざん脅かされたが、結果は不採用だった。

機械技術研究所

井荻の本部で所長面接。
「君、時間ある? 時間があれば君の配属部署を紹介するよ」と
東村山分室に連れて行ってくれた。
居室の扉を所長が開けると、夏の甲子園大会をTVで観ていた数名が、蜘蛛の子を散らすようにデスクに戻っていった。
所長は何事もなかったかのように「みんな、ここに配属予定の矢野君だ」と紹介された。

建設省

面接が終わると、年配の方がやってきて「うちは、上級乙の技術系は冷遇されるから止めた方がいい」と囁いてきた

合格

建設省受験者で意気投合し、3名と居酒屋に繰り出した
A氏「彼女に、朝、今日二次試験じゃない?と言われたので受けた」
B氏「二次試験の前に酒飲み過ぎて遅刻しそうだった」
おいおい、まともに受験勉強取り組んだのはいないのか?

午後8時にホテルに帰ると、電話がかかってきた
機械技術研究所の事務からで
「面接(三次試験)合格。合格受託するか返事が欲しい」のあと
「こんな時間まで一体何してたんですか」

おわりに

神戸大学には結局8年間在籍した。
まだまだ追記したいこぼれ話があるので
随時追記、分割予定です

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