フィリピンで仕事をした時の思い出が書けない
2004年に仕事の関係で8月にフィリピンのマニラに行った時のお話です。
時系列で言うと南アフリカ共和国でピザを食べた話の前の話となります。
ほとんど忘れているのと、仕事で行ったので写真がほぼありません。
わずかなメモと、ただ覚えているだけの話になります。
フィリピンへ行く
7月にこの現場に入り、8月になったら「今月、フィリピンに行ってくれる?」って話になりました。
英語ができないので不安ですが、とてもうれしく思いました。
当時のメモには
フィリピン:マニラも、ベネズエラ:カラカスも、南アフリカ:ヨハネスブルグも、アルゼンチン:ブエノスアイレスも 危険だー!
と書いてあって怯えていることがわかる。
あと空港でチップを要求されたら
ウタギナ モ(本当にバカヤロー)
マネー ワラ ナー(お金持ってません)
胸の番号を覚えておくぞ!というジェスチャー
アヨクナ(嫌です)
とかが書いてあり、やっぱり警戒してる。
たぶんフィリピンに着いた時には忘れてたけど。
でも特にトラブルもなくホテルに着いてホッとしました。
銃弾が聞こえる
仕事は工場で行っていたのですが、自分はお腹がよく痛くなるので、フィリピンでもトイレにこもったりしていることがよくありました。
トイレにこもっていると軍の訓練所が近くにあるのか、よく銃弾が聞こえました。
これ、自分がトイレから外に出たらクーデターが起きてて、工場が軍に制圧されているんじゃないか?とひやひやしていましたが、そんなことは起きませんでしたねw
ちなみに一緒に行った人が街を歩いていたら、シャツ越しにお腹から何か出っ張っているようなものを突きつけられてお金を渡さざるを得なかったと言ってました。
シャツの向こうに潜んでいたのは本当に銃なのか?それとも指なのか?
真実は分からないけどそんな国です。
吉野家の牛丼
日本では狂牛病で、吉野家から牛丼が消えました。
全部、豚丼になったことはある年齢層の人なら覚えていると思いますが、フィリピンの吉野家は牛丼が食べることができたので、ホテルから近くの吉野家に行って牛丼を食べました。
びくびくしながら街を歩きました。
でも久しぶりに食べた牛丼は美味しかったです。
狂牛病にもなっていないようで良かったw
ストリートチルドレン
ある時、晩ご飯をみんなと食べるために国道のような大通りを走っていると信号停止している時に周りから大人や小さな子供までもが周りに歩いてきて、車の中にいる我々にアピールしてきました。
もっとも、それは車を走らせているとしょっちゅうあることだったのだけどどうしても忘れられない記憶がある。
普通は、ちょっとした大人とかが、どこのいつだか分からない新聞とか、きれいな花を売ろうとしていたりするのだけど、小学校1年生ぐらいのとっても可愛らしい女の子が花を売りにきた。
排ガスまみれのなか、大人はバンダナなどを口にしているが女の子は何も覆っていない。
顔は真っ黒。
買ってくださいと寂しげな目で見つめてくる。
当然、こちらは複数人が車に乗っているし、日常茶飯事なので買うことはないのだけど、その女の子が持ってきた花に対して自分が思った事。
「それ・・・道端の花じゃん・・・(T_T)」
いつから握っているのか、しおれかかった元気のない花。
明らかに売れる花じゃない。
※子供から闇シンジケートに利益は渡されたりするので、どれだけ同情しても買ってはいけない。
・・・とここまで書いて、記事が書けなくなったので、ここで終わりです。
うーん。