「紙一重」な怪我の功名
そろそろ昼飯の時間かと考え始めたら、息子の小学校から電話がかかってきた。なにやら怪我をしたようだ。
給食のおかわりジャンケンのときに、たまたま床に置いてあった雑巾に足を滑らせ、机の角に目の脇をぶつけて流血しているらしい。保健室で処置はしているものの、念のため医者に連れて行った方が良いと思うので、迎えに来て欲しいとのこと。
「雑巾に足を滑らせ」ってのはなかなかベタな流れだが、傷を負うほどにこけたということは、かなり勢いよく動いていたのだろう。また、小学校の机の角は丸いはずなので、それなりに強く打ったかもしれないな。と、想像していた。
帰り支度をしながらオフィスで話をしていたら、「眼底出血とかしていると最悪失明することもあるので、設備の良いところで診てもらった方がいいですよ」と聞かされる。その時点では良い眼科に心当たりがなく、とりあえず初見を聞くためにいつもの小児科にでも行こうと思っていたが考えを改める。で、迎えに行く道中に相方とはなしていたら、「まあ、行けるならいつものところが良いね」ときた。
いつものところ。。。か。
そこでようやく思い出す。息子は生まれたときから眼振の傾向が多少あり。産科でそれを聞かされてから眼振に知見ある眼科を探して定期的に通っているのだった。定期的と言っても半年に一度程度なので忘れていた。現状、眼振には根本的な治療法はなく、生活に支障をきたす状況になった場合は対処療法になる。息子の場合はここまでは普通に生活ができていて、視力も両目とも出てはいるのだが、定期的な診察を求められている。
思い出せば、ざっと書けるくらい覚えていて、日常的にもそれなりに注意していたことが、何故か紐付かなかった。不思議なものだ。
起きた事情が怪我だったことや、視力を測れるくらい大きくなり、小学校に入るときの視力検査も良好だった辺りから安心感が増し、それによって無意識のうちに自分の中での重要度が落ちていたか。
小児科に行っても一定の時間がかかることを既に覚悟していたこともあったのと、行くことが可能な時間帯でもあったので、小学校に迎えに行って荷物を置き、地下鉄を乗り継いで南砂町の眼科まで行くことにした。
結果としては、眼底検査までしっかりした上で、目の脇の怪我自体に問題はないことがわかり、ついでにに眼振の状況も診てもらうこともできた。息子にとって災難だったことは変わらないが、何事もなかったのは本人にも良かっただろうし、眼科の一階にできていた串カツ田中にもありつけたので、まんざらでもなかっただろう。
終わってみれば怪我の功名とも言える出来事ではあったが、後数センチ打ちどころがずれていれば眼球を痛めていたかもしれない。何事もなかったから、本人も次からは注意もできるし、それを伝えることもできる。
細かい「紙一重」の中で自分も息子も生きていて、成長もしていくのだな、とか考えた一日だった。
。。。疲れたけど。