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記憶に刻まれる景色の不思議

蔦沼は何か特別な場所だ。

とんでもなく美しい風景は色んな場所にあるけれど、自分の心に最も刻まれている風景は何かと言われると、蔦沼を思い出す。

青森の十和田湖ちかくの温泉宿「蔦温泉」の周辺を囲む蔦七沼。そのうち六沼を廻れる散策路が用意されていて、大体二時間くらいで一通り見ることができる。蔦七沼はブナの原生林に囲まれており、マイナスイオンをたっぷり堪能しながら何か神秘的な空間を歩いている気分になる。高低差も少なく、早起きの散歩くらいでも十分楽しめる有難い散策路だ。

蔦沼は七沼の中心的な沼で、散策路を歩き始めて最初に出会う沼でもある。

その蔦沼に久々に家族旅行でやってきた。蔦温泉の人が調べてくれたところ、前回訪れたのは2006年とのことで、実に12年ぶりの来訪となったわけだけど、蔦沼は相変わらず美しく、静かで、神秘的だった。

---と、自分は感じた。

確かに、蔦沼が生み出す光景は日本屈指のものだろう。朝から歩くことに乗り気ではなかった息子も、「行ってよかった。思ったよりすごかった」と言ってくれたのも良かったが、久々に蔦沼に見て、12年前の自分の感動は偶然生まれたものだと気づいた。

当時の旅行の目的は温泉でのんびりすることと翌日に控えていた美術展へ行くことで、蔦七沼については、旅館が整備したちょっとした散歩道くらいにしか考えていなかった。蔦七沼の地図を渡されても沼の大きさを全く認識できておらず、その辺の公園の沼くらいだと思っていた気がする。その予備知識のなさがひとつ。

次に勘違い。予備知識がなく沼のサイズがわかっていなかったので、蔦沼に着くまでのちょっとした池を見て、「これが蔦沼なのかな?」とか考えたりしていた。

これはこれで美しく、道中の森の風景にも呑まれているので余計分からない。

最後に散策路の作り。蔦沼が小さいと勘違いし、池や森に気を取られている自分には、突然現れる沼の広さを全く想像できなかった。そんな状況の中で、森の木々の背景に薄らと光る水面のようなものが見えて、それが蔦沼だと気付いたとき、そして直後に沼が目の前に広がったときの背筋がざわつく感じは忘れられない。

沼の淵に立ってしばらく呆然として、こんな風景というか、こんな視界の変化の仕方が現実にあんのかと思っていた記憶がある。映画とかゲームとか、表現の世界の話だけだと思っていた。

蔦沼は誰が見てもきっと美しいが、自分が感じたことは自分だけのもので、同じような体験はみんなそれぞれ色々な場所で、偶然、目にしているのだろう。

頻繁に来れる場所でないことが残念ではあるけど、自分にそんな記憶と場所があって、12年経ってから改めて家族と来ることができたのはけっこ幸せなことかもしれない。


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