子どもができて初めて親の…
・自分の子どもってなんてかわいいんだ。
・親もこんなに可愛がってくれたんだな。
・育児ってこんなに大変なんだな
・これをやってくれた親には感謝だな」
・自分の子どもってなんてかわいいんだ。
・親は自分を可愛がってくれなかったな。
・育児ってこんなに大変なんだな。
・親はこんなこともせずに大変だと言っていたのか。
前者、子どもができて親のありがたさがわかった人たち。
後者、子どもができて親への憎しみを加速させる人たち。
両者、言葉だけではわかりあえない境界線がある。もはや異世界のレベル。
前者、私。
後者、夫。
私は親がしてくれたことは自分の子にして至極当然だと思っている。
夫は親にされたことを自分の子にしてはいけないと思っている。
どこのご家庭でも、夫婦で教育方針が合わずにケンカになるが、
我が家は、結果的に妻(私)が夫の育ちと親を否定してしまうことになる。
「してはいけないことをしてはいけないと躾けないといけないが、罵倒はしてはいけない」
「ドアを開けっぱなしにしたくらいで、怒鳴り散らさなくていいだろう」
という主張が、夫に通じない。
夫にとって、「罵倒」でも「怒鳴り散らす」でもないらしいからだ。
もちろん私も甘やかされて育ったわけではなく、かなり叱られたが、そんな時でも、夫が使うような罵りや汚い言葉で親から罵られるなんてことはされたことがない。
夫の主張としては、
・真冬に外に放り出してない
・もっと酷い言葉で叱られた
・暴力を振るっていない
いけないことはいけないこととして厳しい言葉で、でも親が使った言葉は使わないようにして、衝動を抑えて抑えて言葉を選んで躾をしている、
というのが夫の主張。
夫の努力の結晶すら、私には虐待通報レベルなので、そんな言動をしないよう、夫を毎回諌めなければならない。
夫にすれば努力して選んだ言葉遣いを毎回諌められ、夫の育ちや義両親を丸ごと、毎回否定されているのだ。
本当に申し訳ないと思う。
夫は夫で辛い思いをしてきたので、夫の気持ちも尊重すべきだとは思う。
しかし、他所のご家庭で同じ言葉遣いをしていたら虐待通報レベルの言動を子どもに向けるのは、私は決して許さないし、認めない。
その考え自体は夫も支持している。
ただ、夫は虐待通報という認識さえ持てない。わからない。
現在の家庭内で妻に否定される傷と、過去の子ども時代の傷と、両方で苦しんでいる。
本来であれば、夫婦2人で話し合って落とし所を決めるものだけど、我が家は妻が夫を追い詰めるだけなので、無理。
ということで、カウンセリングに頼ることに決めた。私が。
あなた1人で苦しむだけなら、無理に過去の傷を抉ることはなかろう。
しかし、育児となればそうはいかない。
カウンセリングとなると、過去の子ども時代、家庭、学校での傷をかなり抉ることになり、血がたくさん出る作業になるだろうけど、必ずかさぶたになる、いや私が絆創膏になる。
だから、渋る夫を説得し、カウンセリングへの予約へと階段を登ることにした。