
「事故加害者の家族」である僕がキャンドル・ジュンさんの会見を観て思ったこと
広末さんの不倫騒動のことで、旦那さんのキャンドル・ジュンさんが会見をされましたね。興味本位で会見を観てみたのですが、ジュンさんの話されていた内容が自分の過去とリンクするところがあり、これを機に僕の考えもつづってみようと思ったので筆を執りました。
僕は事故加害者の家族
大学時代から僕のことを知っている人なら周知のことなのですが、4年前に亡くなった僕の父は、僕が大学1年の時に「誤って園児の集団に突っ込む」という大きな自動車事故を起こしてしまいました。
父の証言としては「飛び出してきた猫を回避するためにハンドルを切った」そうなのですが、不幸なことにそうして切った先に外をお散歩中の園児の集団がいたのです。
不幸中の幸いとして亡くなった方はいませんでしたが、一時重体になった方や重傷を負った方、けがを負った方などが何十名もいました。
このニュースは全国の多様なメディアのトップニュースとして取り上げられることとなり、ワイドショーでは連日様々な意見が飛び交うこととなりました。
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当時大学1年で上京していた僕は、同じく東京の大学に通っていた兄からの電話でその事故の速報を知り、兄とすぐ合流してほどなくヤフーニュースのトップ記事になっていたことで詳細を知り、ショックに戸惑う暇もないまますぐさま実家に帰りました。
心配だった母も幸い非常に冷静な状態で、親族のサポートもあってメディアが押しかける前に実家を離れて親族の家でしばらく生活させてもらいました。(外で飼っていた犬も一緒に連れて)
ただ、とにかく急いで出てきたものですから、何かしら必要なものなどが家に残ったままで、そういったものは親族が代わりに実家に取りにいってくれたりしました。そこで報道陣につかまりかけることもあったそうです。
ただ、制度上すぐには父に面会することが出来ませんでした。「正義感の強い父なら最悪留置所ないで自死を試みる可能性もゼロではない」という不安があったので早く面会したかったですが、それができないなら何か別の形でこちらの気持ちを伝える手段はないかと考えを巡らせました。
僕が「手紙を送ることは出来ないか?」と提案したところ、可能であるということを警察だか弁護士だかから回答をもらったのですぐに皆で手紙を書いて、父に届くよう手配をしました。
新聞に住所がさらされ、盗難の被害に遭う
事故後はテレビやネット、新聞などで様々な報道がされました。
テレビでは父が険しい顔をしていかにも悪人かのような表情をした場面を切り取って報道しているところがありました。でもそれは実際のところ、事故後に車の下敷きになってしまった子どもを救出するために父や事故現場近くにいた人が車を持ち上げた時、腰の疲労骨折から来た痛みに顔をしかめていたことです。もちろんそんな説明をテレビがしてくれるはずありませんでしたが(もちろん負傷まで知るはずがないですし)。
また、新聞の中でも、静岡新聞はなぜか加害者である父が住む家、つまり僕の実家の住所を番地・号まですべて晒しあげていました。(他の新聞社はせいぜい「〇〇市××区」で留めていました)
それが直結するかは定かではありませんが、僕らが連日家を留守にしていた間でメディアの張り付きも無くなった頃、実家に泥棒が入りました。貴金属やPCなどの電子機器が盗まれて、被害総額は150万円近くに上りました。(それが報道されることはありませんでした)
両親と兄で被害者の方々の元へ謝罪に通う日々
事件から数日後に父とも面会ができ、まずは心配だった父の精神状態も正常であったことに安堵し、その後いくつかの手続きを経て保釈されました。
僕は家族・親族から学業を優先しなさいと強く言われたし、実際地元に残っていても力になれることがあまりなかったので、1週間ほど滞在して東京に戻りました。
これから家族が金銭的に余裕がなくなることは予想できたので、せめて仕送りなしで生活できるようにやり繰りしようと、家賃6万5千円の物件から家賃3万5千円の物件に引っ越すことをすぐにしました。
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一方静岡では、裁判と並行しながら、両親と兄(実家から新幹線で東京の大学に通っていた)が被害に遭ったお子さんたちのご家族に対して連日謝罪回りを行っていました。
家族から聞いたところによると、ありがたいことに加害者側の気持ちに寄り添って下さるご家族もいれば、とても冷たく対応されるご家族、お怒りで𠮟責をされるご家族など様々な対応があったようです。
それでも僕の家族は、きちんと許しを得られるまで、何度も何度も被害者のお宅を訪問をしたそうです。
多数の嘆願書が集まる
裁判の最中、誰が発起人かはわからないのですが、僕の両親を知る方々が一連のメディアでの報道に違和感を感じたことなどもあってか、父の刑が少しでも軽くなるようにという趣旨の嘆願書を集めて下さいました。
結果として4,000件を超える嘆願書が集まり、「こんなに集まるの?!」と驚いたのを記憶しています。それを見て、うちの両親がこれまでにどれだけ周囲の人たちと良好な関係を築いてきたのかが可視化できて、両親に対しても嘆願書を書いて下さった方々に対しても感謝の念が湧き上がってきたのを今でも覚えています。
父はまぐろ漁船の会社を退職し、運搬船の会社へと転職する
裁判ののちに父には刑が下ったものの、幸いなことに執行猶予がつくこととなりました。ただ、事故を起こした責任を取る形で、長年勤めていたまぐろ漁船の会社は退職することになりました。
本当は会社は父を残そうとしてくれたのですが、社長が父のお姉さんの旦那さんだったこともあり、父が「こういう時に擁護してもらっていては社長の信用に傷がつきかねない」と考え、辞めることを決断しました。
そうして、退職からあまり間隔もないうちに転職活動をはじめ、運搬船の会社に雇ってもらえることになりました。そこで父は働き続け、不運にも仕事中に海難事故に遭って4年前に亡くなったのでした。
事故加害者にはなってしまったものの、その罪を背負いつつ前を向き続けた、とても強い父だったと思います。
何を伝えるためにメディアはあるのか
話を一番最初のキャンドル・ジュンさんに戻すと、今回の会見の中でジュンさんは「自分と妻、そして不倫相手以外は当事者じゃないから、その家族・友人・関係者などをメディアが追い詰めないで欲しい」ということを強く主張しておられました。
自分自身のことについても、何も語らなかったとしても有ること無いこと報じられてしまうし、発言も部分的に切り取られて違った解釈のものにされてしまうことも多々あったと。
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それはほんと、メディアの獲物となってしまった経験のある僕としてもとても強く頷けるものでした。
父が事故当時に悪人のような顔をしかめた顔をしていた瞬間があったのは腰の痛みが原因だし、実家に物資を取りに行ってくれた親戚のおばさんが「容疑者の妻」と報じられたのは完全なる誤りだし、実家の住所をすべて晒すことに何の社会的意義があったのかわからないです。
父が事故を起こして甚大な被害を出してしまったことは事実ですが、それ故に僕らがメディアにもてあそばれたことは然るべき出来事なのでしょうか。
その点においては、時間が経った今でも腑に落ちることではありません。
本当のことは当事者にしかわからない
でも、そういうことを経験したということは、僕にとっては無駄なことではありません。ほとんどのメディアは一面的にしか出来事を映さないということを学びました。しかもそれがかなり作為的であると。
それに、たとえどれだけメディアが多面的に捉えようとしても、そこには限界があるとも思います。家族間だけの事情だってあるし、個人の中だけの事情だってあるわけです。
つまるところ、何かしらの「出来事」というのは、様々な事情が錯綜する中の氷山の一角でしかないのです。それを完全にひも解くなど、ほぼ無理ゲーと言っていいんじゃないでしょうか。極端な話、人は自分自身のことですらほんとうにわかっているかどうかも不確かなのですから。
だから、今回の広末さんの不倫どうこうという件についても、本人たちにしか本当のところはわからないし、作為的で断片的な情報を根拠にして軽はずみに論じるべきでもないと僕は思います。
そもそも被害をこうむる人以外は、当事者に説明責任を問う資格すらないとも思いますし。
そういった思慮・配慮する習慣が身に付いたのは事故を経験したおかげかなと思います。
おわりに
今回のジュンさんの会見については、色々と意見が出ることだとは思いますし、観た人それぞれがそれぞれの思うところがあると思います。
また、ジュンさんの発言内容がすべて本当かもわからないですし、あくまでジュンさんサイドの主張を明確にしたとしか判断できません。
それでも僕が観た印象としては、彼が「広末さんと鳥羽さんに浮気をされた子を持つ旦那さん」として、相手のことを尊重した上でなるべく丁寧に言葉を選びながら、自分の責任を持って最大限言える範囲での発言をされたように思います。そこにとても思慮深さを感じました。
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また、メディアの報道の在り方について、それが変わって欲しいということも仰っていましたが、残念ながらたぶんそれは今後も変わることはないだろうなと思います。何かしら言い訳はしつつも、数字のために何だってするでしょうと。
でも、メディアの受け手である人たちの気持ちは変えられる可能性を持っているんじゃないかなと感じました。受け手の意識が変わって、それが伝播していけば、もしかしたらメディアの在り方というのにも少し変化が現れるのかもしれません。
でも、会見をフルでYouTubeで残るように手配をしたのはとても良い手法だなと思います。他の媒体で部分的な報道がされることはあっても、それが部分的であることを証明することができるわけですから。
YouTubeが一般的になったからこそ成し得ることなので、そういう意味では良い時代になったのかなぁとも思います。
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長々とつづってしまいましたが、結局のところ百聞は一見に如かずなので、もしまだキャンドル・ジュンさんの会見をフルで観ていない方がいれば、ぜひ観てみることをお勧めします。
「発言とはどう在るべきものか」ということを考えさせられる非常に良い機会になると思います。
https://www.youtube.com/watch?v=fwZAsb8p3cQ
(終わり)
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