絶対的に言えば「万物は等しく価値が無い」
なんか最近、僕の周りでは「自分の存在価値は何なのか」みたいなことで悩んでいる人が多いです。
きっとコロナが、人生について改めて考える機会を与えたのだと思います。
なかなか答えにたどり着かない難しい問いだと思いますが、僕は「万物は等しく価値が無い」と考えています。
あくまで「絶対的に」という前提に立った上で、という注釈はつけなければならないですが。
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だって、価値があることの証明のしようが無くないですか?
地球とか宇宙とか、森羅万象のなかの自分にどんな価値があるかなんて、わからないじゃないですか。
「いえ、私は地球の環境問題に携わっているので、価値のある存在です」とか言っても、例えばそもそも地球の環境保全は正しい行為だと何でわかるんですか?
地球自身が、岩でごつごつの大地よりも緑あふれる大地を望んでるなんて、どうやってわかったんですか?声が聞こえたんですか?
とか、そんな風に考えていくと、絶対的な立場においては価値なんて証明できっこないなと思うわけです。
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よって、価値というものは「相対的」に見ることによって初めて生まれるものだと僕は考えます。
さっきの環境の話で言えば、まず「人類が種の存続を維持すること」という評価軸を置く必要があるんです。
で、環境を保全すれば環境問題に怯えることがなくなって種の存続可能性が高まるので、価値のある存在と言える、となると。
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でもそれは、何を評価軸に置くかによって価値はたやすく揺らぐんです。
仮に「どうやったら人類を速やかに絶滅させられるか」が評価軸だとすれば、環境保全を行う人は価値のない存在になりますよね。
あ、いや、むしろ有害な存在としての価値が生まれますね。
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色々と回り道しましたが、要するに、「自分の存在価値とは何か」を問う場合、まずは評価軸を作らねばならないわけです。
軸を作った上で、相対的な評価としての価値が見出せるのだと。
何を評価軸に置くか、というのは非常に難しい問題で、人間は生活を続けていく中で価値観が変化していくのですから、それに伴って「何を評価軸にしたいか」という気持ちも徐々に移ろうじゃないですか。
僕はそれが面倒なので、いっそ「絶対的には自分は価値無し!以上!」で済ませてしまっていますが、どうしても価値を追求したい人がいるのならば、まず「出来る限り自分にとって普遍的な評価軸」を見つけることをおススメします。
軸がブレにくい性質のものであれば、「自分の存在価値とは何か」という問いに対する回答もブレにくいですから。
一度回答を出して、時おり微調整して回答を見直せばきっと大丈夫でしょう。
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でも、価値を見出した先に何があるんでしょうね?
僕は「自分に価値が無い」という方が気持ちが楽になるんですけど、どうなんでしょう。
教えてきゃんちゃん。
(終)
P.S.
きゃんちゃんお誕生日おめでとう。
きゃんちゃんからはなんか「成長せねば」みたいな意思を感じるけど、個人的には「成長しないこと」に覚悟を決めて、今の自分を受け入れてあげる方に全振りしていいと思うよ。
いま既に持っている「器の大きさ」と「愛嬌」オンリーで十分に生きていける。
もっとだらしなく、厚かましく、他人にもたれかかって生きて良いと思う。
ていうか、そうやって生きた方がきゃんちゃんの良さがもっと伸びてくるはずよ。
とか言っときながら、それで失敗しても俺は責任は取らないけど。笑
もしめちゃめちゃ満足して頂けるようなことがあれば!